Ⅰサムエル17:28
兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブは怒りを燃やして言った。「いったい、おまえは、なぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私には、おまえのうぬぼれと心にある悪が分かっている。戦いを見にやって来たのではないか。」
エリアブは、なぜ怒っているのでしょう?
全イスラエルが「恐れて」いたのです。
ゴリヤテは、あまりにも大きくて、絶対に「勝ち目はない」と思えました。立ち向かうのは「無謀」に思えました。
しかし、みなが「恐れて」いたとき、一人だけ「腹を立てて」いる者がいました。
みなが「ゴリヤテ」を見ていたとき、一人だけ「万軍の主」のことを思っている者がいました。
ダビデは「イスラエルを愚弄するとはいい度胸だ。万軍の神に戦いを挑むつもりなのだな」と言っているのです。もう、今すぐにでも、立ち向かって行きそうな勢いです。
まあ、実際、ダビデは「戦って勝つ」わけですが…
兄のエリアブは、ダビデのことばを聞いて怒りました。
それは、ダビデが「傲慢」に見えたからです。自分たちに対して「失礼な態度だ」と思えたからです。
また、ダビデが「自分の仕事」をないがしろにして「分を超えた行動」を取っていると思ったからです。
さて、この場合、どちらが「傲慢」なのでしょう?
私たちは「真のへりくだり」と「偽りのへりくだり」を見分ける必要があります。
ダビデのことばは「傲慢」からでたものではなく「確信」からでたものです。それは、彼が羊を飼いながら「神との関係」を育てて来た「証拠」なのです。
ダビデは「知って」いたのです。自分はゴリヤテを倒すことができると。
それは「傲慢な過信」ではなく「経験による確信」でした。
敵は、あなたに「うぬぼれるな」と言うでしょう。
「もっとコツコツやれ」「へりくだれ」「頭を上げるな」と言うでしょう。
確かに「真面目にコツコツすること」は大切なことです。主は「忠実」を称賛してくださいます。
しかし「偽りのへりくだり」は称賛されません。「私なんか…」という思いは、主からのものではありません。
敵は「偽のへりくだり」という策略を用いるのです。私たちは騙されないようにしましょう。
本当の確信は「私」ではなく「主」がどのような方かを知ることによってやって来るものです。
私たちは「自分」ではなく「主」を見上げます。主の御手の下にのみ、へりくだればよいのです。
私たちは、主との関係を築きましょう。日々の生活の中で、主を経験することを求めましょう。
そして、いざというときには、万軍の主の御名によって立ち向かうのです。
私は、主の御手の下にへりくだります
主こそ、わが盾、わが力です
私は、キリストにあって圧倒的な勝利者です

