No.260 御前には「ふさわしい衣装」で出るのです

子ども結婚式

エステル5:1
三日目になり、エステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の奥の中庭に立った。王は王室の入り口の正面にある王宮の玉座に座っていた。

王妃の衣装を着て行きました

エステルは王妃という身分でしたが、いつでも気軽に王に会いに行くことはできませんでした。

エステル4:11a
王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されもしないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑にされるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。

エステルが召されもしないのに、中庭に入って、王のもとへ行くことは「死」を招く可能性のある行為でした。

しかし、エステルは「行かなければならない」のです。

この時、王妃エステルは「最も賢い選択」をしました。

王に会うために「王妃の衣装を着て」行ったことです。

この時、エステルは「一世一代の願い事」を携えて、王に会いに行ったのです。

このような時、王に本気度を表すことが必要だと普通は考えます。王の哀れみをいただくために「へりくだり」を示さなければなりません。

荒布をまとい、灰をかぶって王の前に出ましょうか?

質素な着物を着て、慎ましやかなところをアピールした方がいいでしょうか?

それとも、王が好みそうな衣装を着て、踊ってみたりしましょうか?

いいえ。

王の前には「王妃の衣装」で行くのです。

エステル5:2
王が、中庭に立っていた王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を得た。王は手にしている金の笏をエステルに差し伸ばした。エステルは近寄って、その笏の先に触れた。

エステルは「王妃」として「王」の前に出ることを選びました。

王は「王妃エステル」に金の笏を伸ばしたのです。

私たちは、いつでも、どんな時でも、御父の御前に出ることができます。御父は、私たちを決して拒まれません。

しかし、それは私たちが「良い行いに励んでいる」からはありません。

私たちが「地に頭をこすりつけて拝んでいる」からでもありません。

私たちが受け入れられるのは、御子キリストのゆえです。

御父は「キリストを着た」私たちに好意を示してくださるのです。

どれだけ「良い人」でも、キリストを着ていなければ「婚礼の席」から追い出されます。

しかし、私が「もうダメだ。自分のような者が御前に出ることはできない」と嘆いていても「キリストを着ている」なら受け入れられます。

放蕩息子の父親が「一番良い衣」を息子のために用意したように、御父は、私たちに「キリスト」を用意して下さいました。

私たちは「キリストを着て」御前に出ます。私たちは「良い人」としてではなく、また「罪人」としてでもなく、「神の子ども」として御前に行きます。つまり「王の子ども」です。

私たちは「キリストを着て」そして、王の王である神に「アバ、父よ」と駆け寄るのです。

自分の立場に「ふさわしい衣装」を着なさい。

ローマ13:14
主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。

神の王子、王女に「ふさわしい衣装」は「主イエス・キリスト」のみです。

私は「主イエス・キリスト」を着ます
私は「神の子ども」です
「神の子ども」にふさわしく歩みます