No.181 エデンの園に置いたのは、耕させ、守らせるためです

畑に任命された子

創世記2:15
神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。

主が、人を置かれたのです

主は、人をエデンの園に置かれました。人はエデンに置かれて完成するのです。

「置き」と訳された語には「受けさせた」「安息させた」という意味があるようです。人は、エデンの園に任命され、安息させられたということでしょうか。

主は、人を「耕し」「守る」ために任命されたのです。

「耕させ」とは、原語では「働く」「仕える」「奉仕する」などの意味もあります。祭司やレビ人が「神に仕える」という場面でも使用される語です。

つまり、人はエデンで「仕えた」のです。アダムにとって、園を耕すという行為は、神に仕えることであったと言えます。

また「守らせた」と訳される語には「垣根をめぐらす」「遵守する」などの意味があります。

「遵守する」とは、簡単に言うと「決まりを守る」という意味です。

アダムは、エデンの園で「決まりを守って」暮すように置かれたのです。もちろん、主のみことばこそ守るべき「決まり」です。

人は「善悪の知識の木から取って食べてはならない」という主のことばを遵守しなければならなかったのです。

「決まり」を破ることは、垣根を破壊されることに結びついているからです。

主は、最初から、人をどこに置くのか決めておられました。そして、何をさせるかも決めておられました。

同じように、主は、私たちを置く場所も定めておられます。

そして、私たちも、その置かれた場所で「耕し」「守る」のです。置かれる場所は、その時に応じて変わるかもしれません。

しかし、どこに「置かれた」としても、そこで「神に仕える」のです。そこで「主のみことば」を守って生きるのです。

私たちは「垣根をめぐらす」必要があります。

雅歌2:15
私たちのために、あなたがたは狐を捕えてください。ぶどう畑を荒らす子狐を。私たちのぶどうは花盛りですから。

垣根をめぐらし、荒らすものを追い払うのは、私たちの役目です。あなたの「置かれた場所」には、あなたが「垣根をめぐらす」のです。

今日、主があなたをそこに「置かれた」のです。

大きい場所でも小さい場所でも、明日は去るかもしれなくても、好きでも嫌いでも、今日は、そこがあなたの「置かれた」場所なのです。

私たちは、今日、そこで精一杯「耕し」「守り」ましょう。

精一杯、主に仕え、御言葉を口ずさみ、その場所を悪しき者が荒らしまわらないよう立ち向かいましょう。

主の任務を遂行する者に、主は祝福を惜しまれません。

私を置かれたのは主なる神様です
主は、私を任命されました。
主は、私を祝福してくださいます