No.228 信仰の働き・愛の労苦・望みの忍耐 その③

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Ⅰテサロニケ1:3
私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。

望みに支えられた忍耐が必要なのです

ヘブル6:19
私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものであり、また幕の内側にまで入って行くものです。

私たちの持っている「希望」は「たましいの錨」です。(「希望」と「望み」は、原語では同じ言葉です)

「錨」とは、船が流されないための「重り」のことですね。

つまり「希望」は、私たちの「たましい」が流されないための「重り」なのです。

私たちを支えるのは「主イエス・キリストに対する望み」です。

「主イエス・キリストに対する望み」は、私たちが「忍耐」することを支えるものです。

「主イエス・キリストに対する望み」とは、もちろん、再臨の望みのことです。

私たちは、その望みによって、前を向いて歩むことができるのです。

そして、イエス・キリストに対する望みとは、それだけではありません。

ヘブル13:8
イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。

私たちは、イエス様が「とこしえに変わらない」ことに対して「望み」を置くことができます。

イエス・キリストは、とこしえに変わることがありません。私たちの「救い」は消え去ることはありません。私たちの「望み」は失われることがないのです。

ローマ10:11
聖書は言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」

もしも「もう耐えられない」と思うことがあるのなら、あなたは「錨」を投げ入れなければなりません。

自分で自分を叱咤しても「忍耐」は生まれません。

私たちの「忍耐」は支えられなけばならないのです。

「耐えられない」と感じたときには、「望み」を心に投げ入れなさい。

「イエス・キリストに対する望み」を「錨」とするのです。

イエス様が語られた多くの約束を、一つ一つ、投げ入れるのです。

その「望み」が、あなたを支えてくれるでしょう。

「望み」によって、あなたは押し流されず立ち続けることができるのです。

私は「イエス・キリストに対する望み」を持っています
私の望みはイエス様ご自身です
私は、決して失望に終わることがありません