バプテスマについての学び

ガリラヤ湖の写真

【ローマ6:3-4】
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちにあずかるためです。

聖書箇所を読んで設問に答えてください。

問題を解くには、聖書が必要です。
(新改訳2017を使用しています。)

答えを見るときは▼をポチッとしてください。

WEB版は簡易バージョンです。

完全バージョンは下記からダウンロードできます。

バプテスマを受ける前に

使徒8:27~39を読んでください

(30節~33節)
エチオピア人の高官が読んでいた聖書の箇所に記されている子羊のような「彼」・卑しめられた「彼」とは誰のことですか。

イエス様のこと

(35節)
ピリポは、何をエチオピア人の高官に伝えましたか。

イエスの福音

エチオピア人の高官は、バプテスマを受ける前にイエス様の福音について聞きました。
高官が読んでいたのは「イザヤ書53章7節~8節」です。
どうぞイザヤ53章をすべて読んでみてください。
イザヤは、イエス様の十字架について預言しているのです。
ピリポは、このイザヤ53章から始めて、イエス様の十字架について詳しく説明したと思われます。

使徒2:36~41を読んでください

(36節~37節)
人々は、何を聞いて心を刺されたのでしょう。

あなたがたは、主ともキリストともされた方を十字架につけたのです。

(36節~38節)
心を刺された人々は、「どうしたらいいでしょう」と尋ねました。ペテロは、何と答えましたか。

罪を赦していただくために悔い改めてバプテスマを受けなさい。

バプテスマを受ける前に必要なこと

・イエス様の十字架について聞くこと

・心刺されること
(自分の罪のためであったという自覚)

・罪を赦されたいと願うこと

・悔い改めること
(方向を変えること)

キリスト・イエスにつくバプテスマ

①ローマ6:3~6を読んでください

(3節)
私たちは誰につくバプテスマを受けますか。(受けましたか)

キリスト・イエスにつくバプテスマ

(4節)
私たちはバプテスマによってキリストとともにどうされましたか。

葬られた

(6節)
私たちの古い人はどうなりましたか。

十字架につけられた

②ガラテヤ5:24を読んでください

(24節)
キリストにつく者は何を十字架につけましたか。

自分の肉を情欲や欲望とともに十字架に付けた

バプテスマによって「葬られました」と聖書は言っています。

私たちは「葬られた」のです。

覚えてください。

バプテスマとは「古い人」が「葬られる」ことなのです。

バプテスマを「受けた」から「死ぬ」のではありません。

「死んだ」から「葬られる」のです。

死ぬために「葬られる」人がいるでしょうか?

すでに「死んだ」ので「葬られる」のです。

バプテスマとは、私たちの古い人が十字架につけられ、死んでいることの「表明」です。

つまり、古い人を十字架につけずにバプテスマを受けることはできないのです。

言い換えると、「イエス様の十字架は、私の罪のためでした」と告白しなければ、バプテスマを受けることはできないということです。

バプテスマの型から学ぶ
その1 ノアの大洪水

①Ⅰペテロ3:20~21を読んでください

(21節)
ペテロは、この水(ノアの大洪水)は、何の型であると言っていますか。

バプテスマの型

②創世記8:18~20を読んでください

(20節)
箱舟から出て来た後、ノアがまず行ったことは何ですか。

祭壇を築き全焼のいけにえをささげた

②ローマ12:1~2を読んでください

(1節)
神に喜ばれるささげ物とは何でしょう。

私たちの身体を聖い生きたささげ物とする

箱舟からでてきたノアは、まず祭壇を築きます。

そして、全焼のいけにえをささげました。

新しい世界に降り立って、まず初めに行われたのは「全焼のいけにえ」をささげることでした。

私たちも「新しいいのち」に歩むとき、まず初めに「ささげ物」を持って礼拝をしましょう。

私たちのささげ物とは、「自分自身」です。

生きたささげ物として、自分自身を神様にささげましょう。

主よ、今この瞬間から私のすべてはあなたのものです。

私は、日々、主とともに生きます。

そう告白して歩みましょう。

バプテスマの型から学ぶ②

①Ⅰコリント10:1~2を読んでください

(2節)
私たちの先祖(イスラエルの民)は、誰につくバプテスマを受けたと言われていますか。

モーセにつくバプテスマ

②ガラテヤ3:27を読んでください

(27節)
私たちは誰につくバプテスマを受けましたか。

キリストにつく

③出エジプト14:27~29を読んでください

(27節~28節)
モーセが手を伸ばすと海はどうなりましたか。

海が元に戻った

(29節)
イスラエルはどこを歩きましたか。

海の真ん中

エジプト人は、もうイスラエルを追っては来ません。

なぜですか?

それは、もちろん主が分かれていた海を元に戻されたからです。

イスラエルは、海の真ん中を渡りました。

そこまで追ってきたエジプト人から、それはもう必死で逃げて。

けれど、もう大丈夫です。

エジプト人は彼らを追うことはできません。

そして同時に戻る道もなくなりました。

エジプトはこの世の象徴です。

私たちはこの世と分離したものです。

もはや世の奴隷ではありません。

同時に戻る道も絶ったのです。

私たちはもう二度と世には戻りません。

神に対する誓約

⓵ローマ6:4~11を読んでください

(4節)
キリストとともに葬られたのは何のためですか。

新しいいのちに歩むため

(7節)
死んだものは何から解放されていますか。

罪から解放されている

(11節)
私たちは何に対して死んだものですか。
誰に対して生きている者ですか。

・罪に対して死んだもの
・神に対して生きているもの

②ガラテヤ6:14を読んでください

(14節)
私たちの誇りとするものは何ですか。

主イエスの十字架

(14節)
十字架につけられて私は何に死にましたか。

世に死にました

③Ⅰペテロ3章21節を読んでください

(21節)
バプテスマは何ではありませんか。

肉の汚れを取り除くものではありません

(21節)
バプテスマとは何ですか。

健全な良心が神に対して行う誓約です

バプテスマを受けることは何かを得る手段とはなり得ません。

イエス様の十字架を軽んじたままバプテスマを受けたところで救われることは決してありません。

バプテスマには肉の汚れを取り除く効果などないのです。

それは神様への誓約です

「私は罪に対して死んだ者であり神に対して生きているものです」

という表明です。

「私は十字架を誇りとします」

「私は世に対して死んだものです」

という宣言です。