詩篇4:3
知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき 主は聞いてくださる。
これは、まったくアブラハムが悪かったのです
アブラハムは、また同じ失敗をしてしまいました。
ゲラルの王アビメレクは、アブラハムが「これはわたしの妹です」と言ったのでサラを召し入れたのです。しかし、主はサラを召しいれたアビメレクの家に病をもたらされました。
主は、アビメレクに言われます。
嘘をついたのはアブラハムなのです。サラを奪われたのはアブラハムのせいなのです。救い主の誕生が危機に陥ったのはアブラハムの失態のせいなのです。
しかし、主は言われます。
「あの人は預言者だ。あの人はあなたのために祈ってくれるだろう」と。
主は、アビメレクの家の癒しを、アブラハムの祈りを通して行われるのです。
主の御思いは、何と計り知れないのでしょう。アブラハムは、二度もサラを妹だと偽りましたが、それでも「アブラハムによって地のすべての部族が祝福される」という原則は変わりません。
もし、私たちが恥ずかしい失敗をしてしまったとしても、それでも、私たちは「聖徒」です。
罪は、言い表すならイエス様の血潮できよめられます。私たちは、自分の罪を言い表します。
しかし、そこで終わりではありません。それは、スタートです。
主は、私たちが失敗したとしても、それでも、祝福を流すために私たちを選ばれます。私たちを通して祝福を流すことを望まれます。
主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのです。
あなたが自分をどのように感じていても「キリストにある」なら、あなたは「聖徒」です。あなたが「キリストにある」なら御霊は、あなたとともにおられます。
主は、正しい気持ちで事を行ったアビメレクより、弱さを持ったアブラハムの祈りを望まれるのです。
世の中の人の方が、私たちより優れていることは大いにあります。
しかし、それでも弱さを抱えた私たちを、主は特別に扱ってくださいます。
「聖徒」だと堂々と顔をあげて言えないときもあるかもしれません。しかし、それでも、どんなときでも、手をあげて祈りましょう。
主は、あなたを通して「祝福」を流されます。
私は、キリストにあって聖徒です。
私は、主に特別に扱われます。
わたしを通して祝福が流れます。