イザヤ55:6~7
主を求めよ。お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
捨て去るのは道とはかりごとです
まず、覚えるべきことは、私たちは「主に会う」ことができるということです。
主は、私たちを招いてくださっています。
すべての必要な物はすでにあるのです。豊かないのちはすでに用意されているのです。
イエス様が、すべての代価を支払ってくださったので、私たちは「感謝します」と言って食べたり飲んだりしてよいのです。
どうして、支払い済みの「豊かないのち」から目を背けているのでしょう?
そこにある「豊かないのち」を自分で買い取ろうとするのは、無駄な努力です。
主は、ご自身の豊かな恵みを与えようと、手を広げて待っておられるのです。
私たちは、主にお会いすることができるのです。そして、日々、あふれんばかりの恵みをいただくことができるのです。
私たちが、主にお会いするためにしなければならないことは一つだけです。
それは「捨て去ること」です。
私たちは「自分の道」を捨て去らなければなりません。
それは、自分の方法を捨てるということです。自分の「やり方」を捨てなければなりません。身についてしまった「習慣」「考え方」を捨てなければなりません。
神様の「方法」を学ぶ必要があります。主の「やり方」は、自分とは違うのだということを認めなければなりません。
また、私たちは「自分のはかりごと」を捨て去らなければなりません。
「はかりごと」とは、「前もって上手くいくように考えること」です。
何が「上手くいった」ことなのか…
どのような状況になれば「上手くいった」と感じるのか…
私たちの「上手くいった」と感じることと、主の「みこころ」が同じであるとは限らないのです。
「自分のはかりごとを捨てる」とは、すべての結果について「主に全面的にお任せすること」です。
主の高き御座を仰ぎましょう。
私たちの「願うところと思うところを超えて働かれる方」を見上げましょう。
豊かないのちに招いてくださる方を信頼しましょう。
あなたの方法に固執している時ではありません。あなたの考えや習慣は「一新」されなければなりません。
手をあげるとは、文字通り「お手上げです」という意思表示です。
手をも心をも上げて御前に行きましょう。
主は、そこにおられます。
御座から流れる「いのちの水」は豊かにあふれています。そして、それは、あなたのために溢れているのです。
主にお会いしなさい。そこに、すべての解決があります。
天におられる方に、手をも心をも上げます
私は「自分の道」を捨て去ります
私は「自分のはかりごと」を捨て去ります