No.319 賛美のいけにえをささげます その①

スズラン

ヘブル13:15
それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。

いけにえは努力ではささげられません

詩篇34:1
私はあらゆるときに、主をほめたたえる。私の口には いつも主への賛美がある

ダビデは「あらゆるとき」に主をほめたたえると言いました。

ヘブル書の著者は「賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を絶えずささげよう」と言います。

そして、私たちはそれを読んで思うのです。

「そうだ。どんな時でも、そんな気持ちにはなれなくても、歯を食いしばってでも、賛美をささげなければならない。犠牲を払って賛美をささげよう」

しかし、聖書はそのようには言っていません。「いけにえ」をささげるのに「努力」は不要です。

つまり「いけにえ」とは、「何らかの犠牲を払って」ささげるものではないということです。実際、「ほめたたえる」のに「努力」は必要ありません。

覚えてください。

レビ1:3a
そのささげ物が牛の全焼のささげ物である場合には、傷のない雄をささげなければならない。

主への「ささげ物」は「傷のないもの」でなければならないのです。

そして、私たちにとって「傷も汚れもないいけにえ」とは、ほふられた子羊であるイエス様だけなのです。

私たちの心から「無理矢理しぼりだしたもの」は「いけにえ」ではありません。私たちが歯を食いしばって「美しいことば」をささげても、それは「ほめたたえる」ことにはなりません。

「御名をたたえる」とは、直訳すると「御名を告白する」です。

私たちは「御名を告白する」ことをささげるのです。

「告白」とは「同意する」ということです。

私たちは「みことばに同意します」「主の言われることに賛成します」という宣言を御前にささげるのです。

私たちは「傷も汚れもない子羊のようなキリストの血」によって救われたことを宣言します。

私たちは「主のおしえは完全」であることに同意します。

「あらゆるとき」に宣言します。「絶えず」神の御言葉に同意します。それが「ほめたたえる」ということです。

その宣言のすべては「イエスを通して」ささげられます。御父は、その宣言を喜んでくださいます。

世の中を見つめて、痛む心を抱えて「それでも賛美しなければならない」と言うのは、もうやめなさい。

そこから目を離して「完全ないけにえ」であるイエス様を見なさい。

イエス様の御業によって、すべてが「完了」していることを宣言しなさい。

そして、主の語られた一つ一つの御言葉に同意するのです。聖書の御言葉に同意するのです。

「主は恵み深い」

「神は愛です」

「主に不可能なことは一つもありません」

そのように告白することこそ「賛美」です。そして、それこそ「御名をほめたたえる唇の果実」です。

私たちは、あらゆるときに告白しましょう。たえず「唇の果実」をささげましょう。

主は、あなたの告白を喜んで受け取ってくださいます。

私は、主をほめたたえます
主のみことばを信じます
絶えず、みことばを告白します