No.308 聖霊様の御思いに応じることです

挑戦

ユダ20節
しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。

聖霊によって祈りなさい

「聖霊によって祈りなさい」と聖書は言います。

それは「異言で祈ること」だけを意味しているのではありません。それは「聖霊の御思い」に応じることです。

「祈り」ということが心に浮かんだとき、御霊はすでに私たちを導いておられるのです。ですから、周囲の事情が許されるのなら、そのようなときには、静かに祈ることが大切です。それは、何かの危険から私たちを守るためか、または、だれかを守るために、私たちに祈ることを神が求めておられるときです。あるいは、神が、何か特別な導きを与えるために、祈らせようとしておられるときです。
祈りは奇跡を生む 本田弘慈著 いのちのことば社

もし、あなたの心に「祈り」ということが浮かんだならば、御霊の導きを信じて祈るのです。聖霊様が「御思い」を分かち合ってくださっているのです。

誰かの顔が浮かんだならば、その人のために祈ります。多くの言葉は必要ありません。「祝福してください」だけでもいいのです。

私は、それを「一言の祈り」と勝手に呼んでいます。あなたの心に「祈り」ということが浮かんだならば、とにかく「一言でも祈る」のです。

あなた自身のため、あなたの大切な人のために祈ります。最近、会っていない人の顔が浮かんでも祈ります。すれ違った人のためにも示されれば祈ります。買い物先の店員さんのためにも祈ります。

とてつもなく大きなことが浮かんでも祈ります。自分には特に関係ないと思われることであっても祈ります。日本のことや世界の国々のことが心に浮かんだならば祈ります。

よく分からなくても、理解できなくても、とにかく心に浮かんだならば祈るのです。

私たちは「祈り」を自分の願いや思いを述べることに限定してしまいがちです。確かに、私たちはどのようなことでも、主にお話してよいのです。主は、どのようなことでも、すべて聞いてくださいます。

しかし「祈り」とは、それだけではありません。

「みこころがなりますように」と私たちは祈ります。神には「みこころ」があるのです。私たちに「願い」や「思い」があるように、主なる神も「願い」や「思い」を持っておられます。

聖霊様が「思い」を起こさせてくださったならば「受け取る」のです。あなたが「受け取れる人」であると、主が思われたならば、ますます「御思い」を分かち合ってくださいます。

聖霊様は、あなたが「応じる」ならば、どんどん話しかけてくださいます。主は、私たちを信頼してくださるのです。私たちは、主と一緒に「同じ思い」で歩くことができるのです。

それは、あなたが「一言の祈り」に応じることから始まります。

どんなときにも「御霊によって」祈りなさい。「御霊の思い」を祈りなさい。

私たちが、みな、主の御思いに応じる者とされますように。そうすれば、この国が変わると私は信じています。

主よ、お語りください
どうか、御霊の御声に敏感にされますように
あなたの御思いをお与えください