エゼキエル13:5
あなたがたは、主の日の戦いに耐えられるように、破れ口に上ったり、イスラエルの家の石垣を築いたりしなかった。
破れ口に上ったり、石垣を築いたり
エゼキエルの時代にも「偽預言者」が多くいたようです。彼らは、主に遣わされた者ではありませんでした。
主に遣わされてもいないのに「自分の霊に従って」語る者は「愚か」です。
本当の預言者は「主の霊」に従って語ります。そして、本当の預言者は「語るだけ」ではありません。彼らは「主の心」を持っているのです。
「すべてのとりなし手が預言者ではないけれど、すべての預言者はとりなし手である」と言われます。主は、預言者に「御心」を分かち合われます。主の御心を知ったならば、何よりも「祈る」ようにと導かれます。とりなしの祈りをしない預言者は偽者です。「主の心」を持たないならば「主のみことば」を語ることはできません。
エゼキエルの時代、多くの偽預言者が「偽りの平安」を語りました。
主は言われました。
平安がないのに「平安」と言うのは「惑わしだ」と主は言われます。
終わりの日には「多くの惑わし」が起こります。「偽りの平安」も「惑わし」であることを覚えていてください。
私たちは「主からのことば」を聖書に見出しましょう。「霊」だからと言って「すべてを受け入れては」なりません。
「主の心を持たない偽預言者」は「廃墟にいる狐のよう」だと、主は言われます。
廃墟になった町には「食い尽くすエサ」はないのに、それでも「うろちょろ」と食い尽くすべきものを捜している「愚かなキツネ」だと主は言われるのです。彼らは自分のために預言するのです。自分の利益のために「みことば」を使うのです。
終わりの日には「多くの偽預言者」が現れるのは本当です。もうそれは現れています。
しかし、同時に「主の心を持つ預言者」も多く必要なのです。
私たちはみなが「預言者」ではありませんが、みなが「預言することを求めなさい」と勧められています。
私たちは「愛」を追い求め、そして「預言すること」も熱心に求めるべきです。
「預言する人」は、人を育てることばを語ります。勧め、また慰めます。
しかし、間違ってはなりません。それは「耳障りの良い言葉を語る」ことではありません。「自分の霊」に従って語ってはいけません。
主が「ことば」をくださるのは、あなたに「御心を知らせる」ためです。それは「主の御思い」を受け留めて欲しいからです。
預言する者はみな「主の日の戦いに耐えられるように、破れ口に上ったり、石垣を築いたり」しなければならないのです。
私たちは、みな「破れ口に立って」とりなしの祈りをするのです。
私たちは「石垣を築いて」戦いの日に耐えられるように、聖徒を建て上げるのです。
惑わされないようにしましょう。
そして、同時に、主の御心を求め「預言すること」を求めましょう。
どうか、多くの聖徒が「破れ口に立ち」「石垣を築く者」として立ち上がりますように。すべての聖徒が「御心」を知り、キリストのからだが建て上げられますように。
私は愛を追い求めます
預言することを熱心に求めます
私は破れ口に立ち、石垣を築く者となります