詩篇32:7
あなたは私の隠れ場。
あなたは苦しみから私を守り
救いの歓声で
私を取り囲んでくださいます。
交わりから遠ざかると乾ききります
長い間、おそらく1年ほど、ダビデは御前に口を閉ざしていました。
ダビデの心は重く沈んでいました。心は「乾ききって」いました。一日中、重い心を引きずって、かろうじて生きているだけでした。
何が原因なのか、ダビデはよく分かっていました。
ダビデが「乾ききった」のは、主との交わりが断たれたからです。この場合は、ダビデが「罪の告白」を先延ばしにしていたことが原因でした。
御前に出ればよいのです。御前に出て、ひれ伏し、すべてを告白すればよいのです。しかし、そうすることができなかったのです。
このダビデの気持ちは、とてもよく分かります。
つくづく私は愚かな者です。分かっているのに、御前に出ることを躊躇してしまうことが度々あります。
高く上っていると感じていればいるほど、落ちたときの衝撃は激しいものになります。
そして、その衝撃が激しければ激しいほど、戻る速度が遅くなるような気がします。もちろん、そうであってはならないことは分かっています。
交わりから「遠ざかってしまった」と感じたならば、何を置いてもすぐに戻るのが一番よいのです。
交わりを回復するために必要なのは一つだけ「言い表すこと」です。
ダビデは、主に「告白」しました。自分の心を、自分の状態を「言い表した」のです。
主は、ダビデが「何をしたのか」をご存知です。どんな思いを抱えて黙っているのかもご存知です。
主は、ダビデに「言い表して欲しい」と望んでおられました。
ダビデは「主の御手」が昼も夜も「重くのしかかる」のを感じていました。
この「重さ」「乾き」は、主の御手がのしかかっているからだと分かっていました。
「重くのしかかって」いた主の御手が、今はダビデの「隠れ場」となりました。
私は時々、逆走してしまうのです。
罪悪感から逃げようとして、主の御顔を避けて走りだしてしまいます。
できるだけ御顔から離れれば「罪悪感」は薄れていくだろうと思うのです。
しかし、それは実際には「隠れ場」から遠ざかっていることなのです。
私のたましいよ、走るなら正しい方向に走れ。
カインのように「主の前から出て行って」はならない。エデンの東には何もないのだから。
そして、どうせ戻るのだから、ぐずぐずせずに、とっとと戻って行きなさい。
この交わりを失って生きていくことなど、決してできないと分かっているのだから。
主との交わりが回復されたダビデから「心の痛み」は去りました。
ダビデは自分の周りに「恵み」が取り囲んでいることを感じたのです。
たとえ、自分の罪のせいで「罪悪感」に追われていたとしても、主の御名に駆け込むならば「守られる」のです。
主の御名は強いやぐらです
あなたは私の隠れ場です
どんなときでも、主のもとに走って行けますように