No.286 パン菓子と水で導いてくださいます

菓子パン

エリヤだって、もう無理だと思ったのです

預言者エリヤは疲れ果ててしまったのです。

Ⅰ列王記19:14
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。

エリヤは、主の御名のために激しく戦いました。そして勝利を得ました。しかし、彼のたましいは疲れ果ててしまったのです。

エリヤは、自分以外「主の預言者」はいないと思い込んでいました。疲れ果てた彼は「もう十分です。いのちを取ってください」と願うほどになりました。

牧師や伝道師だけではなく、主のために熱心に歩んでいる兄弟姉妹が「疲れ果ててしまう」ことはよくあることだと思うのです。

エリヤは「私だけが残った」と言いました。

エリヤが「疲れ果てた理由」には多くの要素があるでしょう。

「孤独感」は、その一つにすぎません。しかし、彼が「孤独」を感じていたのは確かでしょう。

働き人の孤独は深刻だと私は思います。それは牧師に限ったことではありません。すべての熱心な聖徒は「働き人」です。

熱心に働いて、その働きが順調に進んでいる場合、私たちは「孤独」を感じることはあまりないようです。

しかし、何かしらの問題が起こったときにそれは顔を出します。

今まで上手く回っていた歯車が急に軋み出した時、自分でも知らなかった「感情」が一気に押し寄せてきます。

それは「恐れ」であるかもしれません。「怒り」であるかもしれません。「寂しさ」だったり「喪失感」であったり、人によって押し寄せる感情は違うでしょう。

「孤独」であることは、それらすべての感情を増幅させます。「私だけ」とあなたが思うとき、その感情は耐えがたいものになるでしょう。

愛する兄弟姉妹。

休んでもいいのです。独りぼっちだと感じるなら泣いてもいいのです。

主はエリヤにしてくださったように「パン菓子と水」をあなたにも与えてくださるでしょう。

Ⅰ列王記19:6
彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子が一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。

主のことばは「甘い」ことを思い出してください。

聖霊があなたを「潤す方」であることを再び感じてください。

横になって、再び起き上がるとき、あなたは「歩き出す力」を得ているでしょう。

Ⅰ列王記19:8
彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブについた。

試みの「四十日四十夜」は、長く感じるかもしれません。しかし、主は、あなたがそこを通過するまで「パン菓子と水」を与え続けてくださいます。

孤独に押しつぶされそうならば「主の山」に行くのです。

主にお会いして、主の御声を聞くのです。

主は「パン菓子と水」で導いてくださいます。

山を下りる時に、あなたは知るでしょう。

主は常に「バアルに膝をかがめていない七千人」を残しておられることを。

あなたは、きっと「エリシャ」を見出し「預言者のともがら」に出会うでしょう。

私たちは、一人のように見えても「孤独」ではありません。知らないところで、誰でも「誰かに祈られて」いるものです。

私はそう信じています。

主よ、あなたの御言葉の甘さを教えてください
御霊によって潤してください
私が歩けるように導いてください