詩篇11:7
主は正しく 正義を愛される。
直ぐな人は御顔を仰ぎ見る。
直ぐな人は御顔を仰ぎ見ます
ダビデは言います。
「直ぐな人は御顔を仰ぎ見る」と。
「仰ぎ見る」と訳された言葉は、原語では「ハーザーחָזָה」です。
「見る」「仰ぎ見る」「預言する」「目を注ぐ」などと訳されます。
ここで「見通し」と訳されている言葉も原語では「ハーザーחָזָה」です。
主の目は「見通し(ハーザーחָזָה)」、直ぐな人は「仰ぎ見る(ハーザーחָזָה)」のです。
主は「すべての人」を見通されます。
「悪者」は、主の御目に耐えることはできません。
しかし、「直ぐな人」は御顔を仰ぎ見ます。
この場合、「直ぐな人」とは「完全に品行方正な人」のことではありません。「行いにおいて完全な人」ではありません。
それが「御顔を仰ぎ見る条件」なのだとしたら、ダビデは御顔を仰ぎ見ることはできないでしょう。
「直ぐな人」とは「真っすぐな人」のことです。「歪みのない人」「曲がっていない人」とも言えます。
それは「行い」ではなく「関係」において「真っすぐ」であるということです。
主との「真っすぐな関係」のうちにあるならば、私たちはいつでも「御顔を仰ぎ見る」ことができます。
私たちは、イエス様の流された血潮によって「いつでも真っすぐ」な関係でいることができます。
主は「見通され(ハーザーחָזָה)」ます。
私は「仰ぎ見(ハーザーחָזָה)」ます。
そこには「見つめ合う」という関係性があります。
ダビデは、常に主を「前にして」いると言っています。
まさか、主がダビデに背を向けておられるとは思えないので、ここは「向かい合っている」と解釈してもよいでしょう。
主は、ダビデを「見て」おられます。そして、ダビデもまた主を「仰いで」いるのです。
私たちは、主と「向かい合って」生きているのです。
あなたが「目を離さない」でいるならば、主があなたから目を離されることは決してありません。
「直ぐな人」にとって、主の御目を見つめることは恵みを発見することです。
主よ、私を見通してください
私は、あなたを仰ぎます
主イエスの血潮により正しい関係にあることを感謝します