詩篇11:1~3
主に私は身を避ける。
どうして あなたがたは私のたましいに言うのか。
「鳥のように 自分の山に飛んで行け。
それ見よ 悪者どもが弓を張り
弦に矢をつがえ
暗がりで 心の直ぐな人を射抜こうとしている。
拠り所が壊されたら
正しい者に何ができるだろうか。」
拠り所が壊されたらと人々は言います
「拠り所が壊されたなら何ができるだろうか」と人々は言います
「いくら正しくてもダメだ。そういうことが通じない状況なのだ」と彼らは言います。
ダビデの敵は「暗がり」から狙っています。どこから、どのような手を使って襲って来るのか分かりません。
誰も頼ることはできません。そこには「法」も「秩序」もありません。「正しいこと」や「まごころ」が通用するような相手ではありません。
ダビデには何の手立てもありませんでした。
ダビデの「拠り所」は壊されたと人々は思っているのです。
そして、彼らは、「ダビデのたましい」を揺さぶりました。
地上の拠り所が壊れていることは、ダビデ自身も痛感しています。
ダビデは、自分の「たましい」が彼らに「同調」しそうになるのを感じていたのだと思います。
ゆえに、ダビデは宣言して言います。
「主に私は身を避ける」と。
地上に「拠り所」がないダビデは「天」を見上げます。
そこには「聖なる宮」があります。
もし、この詩篇がアブシャロムに追われたときに記されたものであるのなら、逃亡中のダビデは主の宮に上ることはできません。
ダビデの心は「聖なる宮」を慕っているのです。ダビデは、切なる思いで「天」を見上げています。
主の王座は「天」にあるからです。
打つ手がないと、人々は私に言います。もうダメだ、逃げるしかないと私も怖気づきます。
しかし「拠り所が壊された」とは思いません。
私の「拠り所」は、主ご自身だからです。
地上の「拠り所」は壊れます。
人々は、あなたに言うでしょう。
「悪いことは言わない。もうあきらめた方がいい」
「話の通じる相手じゃない。何をしても無駄だ」
地上の「拠り所」は壊れます。それは、あなたの「たましい」を揺さぶるでしょう。
しかし、天に目を上げるなら、私たちの「拠り所」は決して失われないということが分かります。
主の王座は「天」にあります。
主は、その「聖なる宮」におられるのです。
私たちは、天の御座におられる方に「身を避け」ます。
私たちの「拠り所」は決して失われません。
たましいを揺さぶられ、怖気づくようなことがあったとしても、それでも私たちは宣言します。
「主に私は身を避ける」
主は、その王座からすべてを支配しておられます。
私は主に身を避けます
私の拠り所は、主ご自身です
私は決して恥を見ることはありません