No.267 私たちは「すべて」を知ることはできません

ランプと本

エステル6:7
その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた。

特別な日のようには見えませんでした

それは、クセルクセス王にとっても、その周囲の人々にとっても「特に何と言うこともない夜」でした。

この大富豪の王は、その晩、眠ることができなかったのです。何となく寝苦しくて、何となく眠りが遠のいてしまう、誰にでもある夜でした。

さて、そのような時に有効なのは「退屈な本」を読むことだとクセルクセス王は思ったのでしょう。

侍従たちは「記録の書、年代記」を持って来て、王の前で読み上げ始めました。これ以上に「退屈そうな本」はありませんね。

しかし、まさか、このようなことが、モルデカイとユダヤ人たちの運命を変える出来事につながっていくとは、誰が予想できたでしょう?

この時、クセルクセス王は「モルデカイ」の名前を思い出すのです。侍従たちは「年代記」の「その部分」を読み上げたのです。

「そうだ、モルデカイだ。あの時、暗殺計画を未然に防げたのは彼のおかげだ。そう言えば、褒美を与えただろうか?」

エステル6:3
そこで王は尋ねた。「このことで、栄誉とか昇進とか、何かをモルデカイに与えたか。」王に仕える侍従たちは答えた。「彼には何もしていません。」

そうです。モルデカイには「何も」与えられてはいませんでした。

モルデカイの「功績」は忘れられていました。しかし、その背後で「彼のいのちとユダヤ人のいのち」を守る計画が遂行されていたのです。

ハマンの悪巧みを打ち砕くための計画が、モルデカイの知らないところで進められていたのです。

この「特に何と言うことのない夜」に、ハマンの悪巧みは打ち砕かれました。

モルデカイは、王が眠れなかったことも、ハマンが自分を木に吊るそうとしていたことも知りませんでした。

彼の知らない間に、彼のいのちは守られ、名誉は回復され、同国民は滅びから免れたのです。

人から「何もしてもらえない」ことを嘆く必要はありません。

それが「当然の権利」だとしても「人からのもの」に執着してはなりません。

今、手に入らないことには意味があります。

今、認められなくても焦る必要はありません。

その出来事を、主の御前に持っていくならば、それは光の中で明らかになっていくでしょう。

今は、理解できないことも、主の御手に委ねます。

すべてが忘れ去られていくように感じたとしても、実際、人々は忘れていくでしょう、それでも、主は覚えていてくださいます。

主のご計画は「何と言うこともない日」にも、ちゃんとあります。私たちの見えないところで、主のご計画は遂行されているのです。

私たちは「すべて」を知ることなどできないのです。

「今」だけを見て、何もかも知ったつもりになって騒ぎ立てる必要はないのです。

Ⅰコリント8:2
自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのこともまだ知らないのです。

私たちは、信じましょう。

今も、常に、働いておられる方を信じましょう。

私たちを愛してくださる方が「すべて」を支配しておられることを信じて生きましょう。

私は主を信じます
主が全知全能の神であることを感謝します
分からなくても、すべてを委ねます