No.264 期待する心を失わないように!

子どもの心

マルコ10:14
イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。

神の国は「子ども」のような者たちのものです

マルコ10:15
まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。

子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入れないとイエス様は言われました。

私は、この箇所を読むと思い出す話があります。

昔、アメリカの中西部のある地域が、ひどい干ばつに見舞われました。その地域の人々は、みな農業で生計を立てていました。

この干ばつは、彼らにとって死活問題であったのです。

彼らは、断食祈祷会を行うことにしました。そして、町中の人が教会に集まったのです。

その朝、五歳の少女が両親と教会に行きました。少女が傘を持って来ていたので、周囲の人はみな笑ったそうです。

「こんないい天気なのに、お嬢ちゃんは傘を持ってきたのかい?」

少女は答えました。

「ええそうよ。だって神様に雨を降らせてくださいってお祈りするのよ。帰る時、傘がなければ、びしょ濡れになっちゃうわ」

聞いた人々は、自分たちの不信仰に愕然としたのです。

聞いた人々は、突然悔い改めを迫られました。彼らは雨を求めて祈りに来たのに、天候の変化を期待していなかったからです!
人々は涙を流して不信仰を悔い改めました。そして自分たちの祈りが状況を変えることを、本当に信じたかのように祈りはじめました。
その日の午後四時頃、西の空に雲が出てきました。夕方には、地域一帯が土砂降りになりました。まるで彼らのために、天が文字通り開いたかのようでした。
奇跡を解き放つ祈り ダニエル・コレンダ著 マルコーシュ・パブリケーション

この雨は、三日三晩降り続き、作物は救われました。それどころか、今までにないほどの大収穫となったのです。

子どものような心の特徴の一つは「期待する心」であると思います。

私たちは大人になるにつれ「期待する心」を失くしてしまいます。

確かに人の「約束」は、いい加減なものです。

大人は悪気はなく「また今度ね」と約束します。そして、その約束を忘れてしまいます。

幼い私は、素直に「また今度」を待っていたものです。しかし「また今度」は、いつまで待っても来ることはありません。当たり前です。向こうは忘れているのですから(笑)

私は「また今度ね」は、絶対に「守られない約束」であると学習してしまったのです。

しかし、愛する兄弟姉妹。

私たちの天の父は「軽い約束」などされません。「約束」を忘れてしまうこともありません。主の「また今度ね」は、必ず成ります。

主にとって「優先度の低い祈り」などありません。

「不信仰」とは「期待しない心」です。そして、不信仰とは、生けるまことの神を侮る心です。

私たちは「期待」しましょう。

「雨を祈ったのだもの。必ず傘が必要だわ」と考えた5歳の少女の心が、私たちには必要です。

天の御父には「期待」してもよいのです。

マタイ7:11
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。

私たちは「子どものように」神の国を受け入れましょう。

天の御父は、そのような者の祈りに、必ず答えてくださいます。

私は、主に期待します
主には不可能なことはありません
不信仰を閉め出してください