No.258 聞き方に注意しなさい。 ④ 良い地とは「弟子の心」です

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ルカ8:8
また、別の種は良い地に落ち、生長して百倍の実を結んだ。」イエスはこれらのことを話しながら、大声で言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」

弟子には「奥義」を知ることが許されます

「良い地」に落ちた種は100倍の実を結びます。

それは「良い地」だからです。

ルカ8:15
しかし、良い地に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます。

「良い地」とは「弟子のこと」です。

イエス様は言われました。

ルカ8:10
イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義を知ることが許されていますが、ほかの人たちには、たとえで話します。
『彼らが見ていても見ることがなく、聞いていても悟ることがないように』するためです。

イエス様が言われたことを考えてみますと「たとえ」で語るのは「悟られないため」であると言っておられるように思います。

普通「たとえ話」「例話」を用いるのは、話を「分かりやすくするため」です。

しかし、イエス様の「たとえ話」は「分かりにくいように語られている」ということです。

確かにイエス様の「たとえ話」は、一見、親しみやすく分かりやすいように思えます。しかし、よく考えると「何のこと?」という疑問が湧いてくるのです。

実際、弟子たちも意味を汲み取れなかったので「このたとえがどういう意味なのか」と尋ねたのでしょう。

ルカ8:9
弟子たちは、このたとえがどういう意味なのか、イエスに尋ねた。

イエス様は「あなたがたには神の国の奥義を知ることが許されている」と言われました。

つまり「簡単そうに見えるたとえ話」が「神の国の奥義」であると言われたのです。

そして「あなたがたには知ることが許されている」と言って意味を教えてくださったわけです。

なぜ彼らには「奥義を知ることが許されている」のでしょう。

それは彼らが「群衆」ではなく「弟子」だからです。

彼らは「弟子」なのです。

師であるイエス様をお慕いし、師の言われることを吸収したいと願い、すべてを置いて従っているのです。

彼らはイエス様と「師弟関係」にあるのです。あなたは、イエス様とどのような「関係」にありますか?

「立派な良い心」とは「種」である「神のことば」に対して「良い心」であるということです。

それは、つまり「いのちのことば」であるイエス様に対する「良い心」のことです。

私たちの心は「いのちのことば」に対して「良い心」でしょうか。

私たちは「弟子の心」を持って「主のことば」を待ち望んでいるでしょうか。

イザヤ50:4
神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに私を呼び覚まし、私の耳を呼び覚まして、私が弟子として聞くようにされる。

あなたが「弟子」であるならば、主は「朝ごと」に呼び覚ましてくださいます。

そして、私たちが「聞く」ように耳を呼び覚ましてくださいます。

私たちが「弟子」であるならば「みことば」は解き明かされます。

「弟子」にしか教えてくださらないことがあるのです。

ルカ8:18
ですから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられるからです。

私たちが「弟子の心」で「みことば」を聞くならば、必ず、主は多くのことを教えてくださいます。

私たちが「持つ」ならば「さらに」与えられるでしょう。

私たちは忍耐しましょう。「弟子」として聞き続けましょう。

そうすれば「100倍の実を結ぶ」と私は信じています。

私はキリストの弟子です
私の耳を呼び覚ましてください
神の奥義を教えてください