ルカ8:8
また、別の種は良い地に落ち、生長して百倍の実を結んだ。」イエスはこれらのことを話しながら、大声で言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
弟子には「奥義」を知ることが許されます
「良い地」に落ちた種は100倍の実を結びます。
それは「良い地」だからです。
「良い地」とは「弟子のこと」です。
イエス様は言われました。
イエス様が言われたことを考えてみますと「たとえ」で語るのは「悟られないため」であると言っておられるように思います。
普通「たとえ話」「例話」を用いるのは、話を「分かりやすくするため」です。
しかし、イエス様の「たとえ話」は「分かりにくいように語られている」ということです。
確かにイエス様の「たとえ話」は、一見、親しみやすく分かりやすいように思えます。しかし、よく考えると「何のこと?」という疑問が湧いてくるのです。
実際、弟子たちも意味を汲み取れなかったので「このたとえがどういう意味なのか」と尋ねたのでしょう。
イエス様は「あなたがたには神の国の奥義を知ることが許されている」と言われました。
つまり「簡単そうに見えるたとえ話」が「神の国の奥義」であると言われたのです。
そして「あなたがたには知ることが許されている」と言って意味を教えてくださったわけです。
なぜ彼らには「奥義を知ることが許されている」のでしょう。
それは彼らが「群衆」ではなく「弟子」だからです。
彼らは「弟子」なのです。
師であるイエス様をお慕いし、師の言われることを吸収したいと願い、すべてを置いて従っているのです。
彼らはイエス様と「師弟関係」にあるのです。あなたは、イエス様とどのような「関係」にありますか?
「立派な良い心」とは「種」である「神のことば」に対して「良い心」であるということです。
それは、つまり「いのちのことば」であるイエス様に対する「良い心」のことです。
私たちの心は「いのちのことば」に対して「良い心」でしょうか。
私たちは「弟子の心」を持って「主のことば」を待ち望んでいるでしょうか。
あなたが「弟子」であるならば、主は「朝ごと」に呼び覚ましてくださいます。
そして、私たちが「聞く」ように耳を呼び覚ましてくださいます。
私たちが「弟子」であるならば「みことば」は解き明かされます。
「弟子」にしか教えてくださらないことがあるのです。
私たちが「弟子の心」で「みことば」を聞くならば、必ず、主は多くのことを教えてくださいます。
私たちが「持つ」ならば「さらに」与えられるでしょう。
私たちは忍耐しましょう。「弟子」として聞き続けましょう。
そうすれば「100倍の実を結ぶ」と私は信じています。
私はキリストの弟子です
私の耳を呼び覚ましてください
神の奥義を教えてください