No.257 聞き方に注意しなさい。 その③ 茨がふさいでしまうのです

子ども農園

ルカ8:7
また、別の種は茨の真ん中に落ちた。すると、茨も一緒に生え出てふさいでしまった。

茨も一緒に生えました

茨の真ん中に落ちた種は「ふさがれて」生長することができませんでした。

ルカ7:14
茨の中に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らはみことばを聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれて、実が熟すまでになりません。

私たちは確かに「みことばを聞いた」のです。ですから私たちは芽を出しました。しかし、ある程度までしか成長しません。主が約束してくださった「豊かな実」を実らせているとはとても言えません。

それは、なぜでしょう。

それは「ふさがれている」からです。「茨」が生長を妨げているのです。

「主を信じます」と告白しながら「思い煩い」を育てているならば、私は「ふさがれて」います。

「主に信頼します」と言いながら「金銭に頼っている」のなら、私は「ふさがれて」います。

「主を愛します」と賛美しながら「世の快楽を慕っている」のなら、私は「ふさがれて」います。

「ふさがれて」いるのなら、それ以上に生長することはないでしょう。

イエス様は「思い煩うマルタ」に言われました。

ルカ10:41~42
マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。

「必要なことは一つだけ」なのです。

ルカ10:39
彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。

マリアは「主の足もとに座って、主のことばに聞き入る」ことを選びました。

1ヨハネ1:3
私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。

使徒ヨハネが伝えたのは「いのちのことば」についてです。

私たちが「いのちのことば」について聞いたのは「交わり」のためです。その交わりとは「御父また御子イエス・キリストとの交わり」です。

ルカ8:18
ですから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられるからです。

「いのちのことば」は、主との交わりのために伝えられたのです。

詩篇27:4
一つのことを私は主に願った。
それを私は求めている。
私のいのちの日の限り
主の家に住むことを。
主の麗しさに目を注ぎ
その宮で思いを巡らすために。

あなたの願う「一つのこと」は何ですか?

マリアの選んだ「良いほう」は、私たちにとっても「良い」のです。

イエス様だけに「目を注ぐ」なら、私たちは「思い煩い」「富」「快楽」に「ふさがれて」しまうことはありません。

私はイエス様に目を注ぎます
「いのちのことば」を感謝します
主との交わりの中に入ることを感謝します