ルカ8:6
また、別の種は岩の上に落ちた。生長はしたが、水分がなかったので枯れてしまった。
水分がなければ根はでません
岩地に落ちた種が枯れたのは「水分がなかった」からだとイエス様は言われました。「水分不足」で「根」を張ることができなかったのです。
「岩の上」の落ちた種は「生長」します。
そのような人は、喜んで礼拝します。兄姉とも楽しそうに交わりを持っています。しかし、突然、パタリと姿を見せなくなるのです。「何か」があったのです。「何か」のせいで身を引いてしまうのです。
もし、あなたが何かの「苦難」「困難」に遭遇し、そして「気落ち」してしまうならば「あなたの力は弱い」のです。
もし私が「苦難」によって「イエス様から目を離してしまう」なら、私には「根がない」のです。
「根がない」のは「岩地」に生えているからです。
「枯れる」のは「根がない」からです。
「根がない」のは「水」がないからです。
しかし「岩地」に「保水性」はありません。「岩地」では「潤い」を保つことはできないのです。
「実を結ぶ木」「枯れない木」とは「流れのほとりに植えられた木」です。「水」がたっぷりとある場所に植えられた木です。
「植えられた」ということは「自然に生えたものではない」ということです。
「岩地」で生長していると感じるならば「流れのほとり」に移植されなさい。
そうすれば「実を結ぶ枯れない木」となります。
「口ずさむ」とは「思い巡らす」ことです。
「みおしえを昼も夜も思い巡らす人」こそ「流れのほとりに植えられた木」です。
耳に心地よい言葉だけを聞くのはやめなさい。聖書の読みやすい箇所だけを読んでいてはいけません。
主の「みおしえ」を口ずさみなさい。口ずさみ、思い巡らすのは「守り行うため」です。
「口ずさむ」「思い巡らす」のは「土台」を変えるためです。
私たちの「思い」「考え」を一新し「主のみことば」を生きることができるようになるためです。
「もはや私ではなくキリストが私のうちに生きておられる」と言えるようになるためです。
「ですから、聞き方に注意しなさい」
「枯れない強い木」になりたいなら「神のことば」である「主イエス」を常に思っていることです。
私は「みおしえ」を口ずさみます
自分の好むことだけを聞くのはやめます
主の「みおしえ」を教えてください