出エジプト3:14
神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」
「わたしはある」という者であると言われました
主は、ご自身のことを「わたしはある」という者だと言われました。
現代語訳では「わたしはあらゆる存在の根源である」と訳されています。
口語訳では「有って有る者」と訳されます。
文語訳では「我は有て在る者なり」です。
マルティン・ブーバーというユダヤ人の哲学者は「わたしは、そこにいるだろう」と訳しているそうです。
「ある」とは、一言では言い表すことのできない、主の無限の可能性、多様性を示しているのだと言われます。
つまり「わたしは良き羊飼いである」「わたしはいのちのパンである」「わたしは道であり真理でありいのちである」というように、主は、私たちにとって「すべて」であり、「すべて」を有しておられるのです。
そして、同時に、「在る」という方でもあるのです。
主は「どこにでも」「いつでも」存在しておられます。
そうすると、文語訳の「我は有て在る者なり」や、ブーバーの「わたしは、そこにいるだろう」という訳も味わい深いものだなと思うのです。
主は「天」にもおられます。
主は「地」にも満ちておられます。
主は「よみ」にさえおられます。
あなたが、どこにいても「わたしは、そこにいるだろう」と言われるのです。
誰も見てくれない、誰も気にしてくれないと思う時、主は「わたしは、そこにいるだろう」と言われます。
嬉しくて舞い上がってしまいそうな時にも「わたしは、そこにいるだろう」と言われます。
先が見えず、まるで闇の中にいるようだと感じる時、「わたしは、そこにいるだろう」と言われます。
世の終わりまで、いつも、絶えず、どんな場所であっても「わたしは、そこにいるだろう」と言われるのです。
今日、主は、あなたのそばにおられます。
今日、あなたの行く先に、ともにおられます。
主が「おられない」場所などないのです。
主は、今も「わたしは、そこにいるだろう」と、あなたに言われるのです。
主がともにおられます
私は「わたしはある」と言われる方に信頼します
主は天にも地にも満ちておられます