No.227 信仰の働き・愛の労苦・望みの忍耐 その②

ベビードレス

Ⅰテサロニケ1:3
私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。

愛から生まれた労苦は喜びを感じさせます

創世記29:20
ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。

ヤコブと言う人には、多くの欠点があります。しかし、良いところもあります。

ヤコブは「愛する」ことのできる人です。その愛には偏りがありますが、今回は目をつぶりましょう(笑)

ヤコブは、ラケルを愛していました。自分の妻にしたいと思いました。

そのために、ラケルの父であるラバンに七年間も仕えたのです。すべては、愛する者を手に入れるためでした。

七年間、来る日も来る日も、ラバンのために羊を飼い続けました。それは、文字通り「労苦」でした。しかし、ヤコブの心はこれを「労苦」とは思いませんでした。

ラケルのことを思えば、それは「ほんの数日のように思われた」のです。

「愛」によって生じた「労苦」は、むしろ「喜び」を感じさせるものなのです。

自分たちの服をすべて自分たちの手で作っていた時代の話です。

ある娘さんが、飽きもせず、一生懸命に刺繍をしていました。自分の着る服に装飾を施していたのです。

彼女は、毎日毎日、本当に熱心に刺繍をしていました。

ある人が、彼女に尋ねました。

「娘さん、よく飽きませんね。細かい手作業ばかりで嫌になりませんか?」

すると、その娘さんは答えました。

「いいえ。これは、私の花嫁衣裳なんです。出来上がって着るのが、今から楽しみです」

その娘さんは、自分の「花嫁姿」を心に描いていました。愛する人と、ずっと一緒に生きることのできる日を夢見ていました。

退屈な手作業も、そのことを思えば、全く苦痛ではなかったのです。

Ⅰコリント13:12
今、私たちは鏡にぼんやりと映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じよう、私も完全に知ることになります。

私たちは、いつの日か必ず「愛する主イエス」と「顔と顔を合わせる」ことになります。

私たちは、必ず、主とお会いするのです。その日、私たちは「ぼんやり」とではなく「はっきり」と見ることになるのです。

その日を待ち望みましょう。

主とまみえるその日を心に思い描きながら生きるのです。

あなたの毎日は「労苦」で満ちているように思えますか?

あなたの毎日は「単調な繰り返し」のように思えますか?

イエス様を心に描くのです。イエス様を心を尽くして、そして、情熱を持って愛するのです。

私たちの「主への愛」が大きくなればなるほど、地上の「労苦」は取るに足りないものに思えるでしょう。

Ⅱコリント4:17
私たちの一時の軽い患難は、それとは比べものにならないほど重い栄光をもたらすのです。

私たちは、御国で地上のことを振り返ったとき、きっと言うでしょう。

「あっという間だったな」と。

愛するならば「それはほんの数日」に感じるものです。

私は、必ず、主と顔と顔を合わせて会います
私は、主を心から待ち望みます
永遠の重い栄光を垣間見させてください