ヨハネの黙示録1:1
イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。そして、キリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。
黙示録が記された理由です
黙示録には「すぐに起こるべきこと」が記されています。
「起こるべき」の「べき」と訳された語は「必ず起こる」「必然的に起こる」という意味です。
そしてそれは「すぐに」起こることなのです。
つまり、黙示録には「すぐに、絶対に起こること」が記されているのです。
しかし、ある人は言います。
確かに「すぐに」と聖書には記されていますが、それは約2000年前から言われていることですものね。そう言いたい気持ちも分かります。
しかしペテロは言います。
つまり、主の御前では2000年は「二日」です。
主が「黙示録」を与えてくださったのは「必ず起こること」を教えてくださるためです。
「すぐに」と言われたのは、私たちが「天の視点」で「その出来事」を見るためです。
私たちは、パウロが言うところの「一時の苦難」を生きるだけなのです。
黙示録は、確かに難解で不可思議です。他の預言書も同じく難しく感じるでしょう。
しかし、それは私たちを混乱させるために与えられたのではありません。
主は「御思い」を分かち合ってくださっているのです。「ご計画」を明らかにしておられるのです。
それは、私たちに「天の視点」を与えるためです。
時間空間に制限された考え方から解放するためです。
それは「終わり」ではないことを悟らせるためです。
主は「勝利」を取られた方だと確信させるためです。敵は必ず滅びるのです。
主にとって「1000年は1日」です。
そう考えると、あなたの生涯は「1日にも満たない」ものです。
今の苦難は、永遠には続かないのです。
黙示録に記される「大患難」であっても「定められた日」以上に長引くことはありません。
私たちの苦難は「一時」どころか「瞬く間」でしかないのです。
しかし、その「一瞬」「瞬く間」であっても、イエス様は決して、あなたを一人にはされません。
「すぐに」と言われる方を見上げるとき、私たちはイエス様の声を聞きます。
「天の視点」から「今」を見ましょう。
「すぐに」と言われる方を見上げるなら「天の視点」を持つことができます。
私たちは、決して、イエス様から目を離してはなりません。
1000年を1日と言われる方を見上げます
私の苦難は一瞬です
永遠の視点を与えてください