ダニエル8:19
こう言った。「見よ。私は、終わりの憤りの日に起こることをあなたに知らせる。それは、終わりの定めの時に関わることだ。
もう一つの幻は「イスラエル」に関係することです
ダニエル書7章は「ベルシャツアル王の元年」に与えられた幻でした。そして、それから数年の後、ダニエルに「もう一つの幻」が与えられたのです。
「もう一つの」とわざわざ記されているので「ベルシャツアルの元年の幻」と、今回の幻は、何らかの関りがあると考えてもよいでしょう。
大きく違うのは、ダニエル書7章は「アラム語」で記されていますが、ダニエル書8章からは「ヘブル語」で記されているということです。
2章4節~7章まではヘブル語ではなく異邦人の言葉アラム語で書かれており、このような書き分けがされた理由を知ることは難解ですが、原則的にこの世の諸王国の歴史を扱う叙述にはアラム語が用いられ、未来の神の民と神の国の描写にはヘブル語が用いられているようです。
ひとりで学べるダニエル書 K・フルダ・伊藤著 文芸社
ダニエル7章は、異邦人である私たちを含む「全世界」の歴史についての幻です。ゆえに当時の公用語のようなものであった「アラム語」で記されているのです。
となると「ヘブル語」で記されている8章は「イスラエル」についての幻であると考えられます。つまり8章以降は「イスラエル」を中心として考えなければ大きく解釈を誤るということです。
私たちは、聖書を読むとき「自分」を中心に考えますし、「自分」にすべてを当てはめようとします。もちろん、個人的に聖書を読むときに「主が私に語ってくださっている」と思って読むのは良いことです。
しかし、預言を解釈する時には「イスラエル」と「教会」「自分」を同じように扱ってはなりません。「イスラエル」に与えられた約束は、すべて我々「教会」のものだと思って読むならば、大きく解釈を誤ることになります。
「イスラエル」に与えられた約束や預言は、「イスラエル」のために成就します。そのように、きちんと区別をして預言を学ぶと、全部は理解できなくても、ずいぶんスッキリするものです。
雄羊と雄やぎの幻
さて、ダニエルは幻の中で「エラム州にあるスサの城」にいました。
スサの城は、エステル記に出てくるクセルクセス王が住んでいた城のことです。つまり、後の「ペルシャの首都」です。
これは余談ですが…
ある先生方は、ダニエルは「エラム州に出張に行っていた」と言っています。つまり、実際に「スサの城」にいて幻を見たのだというわけです。
ダニエルは有能なので諸州を飛び回って監督していたのではないかというのですね。そうすると、ダニエル書3章で「金の像を拝め」という命令が出たとき、ダニエルの姿がなかったのも納得できるというわけです。その時も、諸州に出張に出ていたのだろうと。
なるほど、そうであったかもしれません。まあ、真相は分かりませんが、いろいろと面白い考え方があるものです。
ちなみに個人的に私は、ダニエルはバビロンの宮殿にいながら幻を見たと思いますが、あなたはどう思いますか。
こういうことを想像しながら読むと、聖書の登場人物がより身近に思えます。「もしかするとダニエルも出張とか行ったのかな」などと考えるとダニエルを親しく感じることができますね。
さて、それはさておき…
ダニエルが幻の中で「ペルシャ」にいたことは、時代が次に移行することを表しているのでしょう。バビロンは、もうすぐ滅びるのです。
ダニエルは「スサの城」で、また恐ろしい幻を見ます。まずダニエルは「一匹の雄羊」を見ました。そして、続けて「一匹の雄やぎ」を見ました。
ダニエルは、その「雄羊」と「雄やぎ」について詳しい幻を見ます。しかし、例によって「その意味は分からなかった」のです。
この勇士のように見える者とは「御使いガブリエル」のことです。
御使いガブリエルが、ダニエルに幻の意味を教えてくれるのです。ガブリエルは、私たちに馴染みのある御使いですね。マリアの受胎告知をした御使いですから。
ダニエルは、意味の分からないまま幻を見ましたが、私たちはガブリエルの解説を読みながら、幻を理解していきましょう。
雄羊に雄やぎが勝利する
まずダニエルが見たのは「長い二本の角を持った雄羊」です。
ガブリエルによると、この雄羊は「メディアとペルシャ」です。
雄羊には「二本の長い角」がありますが「後から出てきた方がより長い角」でした。それは、メディアよりペルシャの方が優勢であったことを表しています。
ここで復習です。
メディアとペルシャとはダニエル2章の「銀の胸と両腕の国」のことです。そして、ダニエル7章では「横向きに寝ている熊に似た獣」として表されていました。
ダニエル8章では、メディアとペルシャは「二本の長さの違う角を持つ雄羊」として登場します。ややこしいですが、これらはすべて同じ国を表していることを覚えていてください。
雄羊つまり「メディアとペルシャ」は、西や、北や、南を突いています。この三方向に対する進撃を「熊の牙の間にある三本の肋骨」であると解釈している学者さんもいます。
西はバビロン、北はアルメニヤ、南はエジプトです。エラムの東は侵略しませんでした。
「雄羊」である「メディアとペルシャ」は、とても強い帝国でした。バビロン帝国を滅ぼし、南のエジプトも侵略しました。いずれの国も「メディアとペルシャ」に立ち向かうことはできませんでした。雄羊は、向かう所、敵なしという状態であったのです。
そして、どの世界帝国もそうですが「思いのままふるまって、高ぶっていた」のです。
さて、ダニエルが凝視していますと、今度は「雄やぎ」が登場しました。この「雄やぎ」は、ガブリエルによると「ギリシャ」です。
「その第一の王」とは、最も強かった「アレクサンドロス大王」のことだと思います。
ここで、再び復習しておきましょう。
「ギリシャ」は、ダニエル2章では「青銅の腹とももの国」です。ダニエル7章では「四つの翼を持つ豹に似た獣」として表されています。そして、8章では「際立った一本の角を持つ雄ヤギ」として登場します。
アレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)は、世界史の中でも最も有名な人物の一人でしょう。
「地には触れずに全土を飛び回って」とは、彼の侵略スピードが異常に早かったことを表していると思います。
アレクサンドロス大王は、約三年ほどで、当時の世界を征服します。そして、伝説によると、もう征服するべき国がないと泣いたと言われています。
雄やぎ(ギリシャ)は、雄羊(メディアとペルシャ)を投げ倒して倒します。
銀の胸の国の時代は終わって、青銅の腹とももの時代となります。
ペルシャ帝国の崩壊、アレクサンドロス大王の進撃などについては、一般の歴史書などに詳しく記されています。今回は、そのあたりのことは割愛しますので、興味があれば、歴史書などを読んでみるとよいでしょう。ダニエルの預言が、細かなところまで正確であることに驚かれると思います。
しかし、今は、「ペルシャ帝国」が終わって「ギリシャ帝国」になったのだということが理解できれば問題ありません。雄羊(ペルシャ)は、雄やぎ(ギリシャ)に倒されたのです。
重要なのは、この後のことです。
ギリシャ帝国は、アレクサンドロス大王によって、異常なスピードで世界帝国となりました。しかし、アレクサンドロスは「もう征服する国がない」と泣いた後、すぐに夭折します。32歳でした。
ちなみに、ある歴史家は、征服する国がないと知って落胆したアレクサンドロスは、深酒し、泥酔したまま、雨の中を歩いて帰り、濡れた服のまま眠り、その結果、肺炎を発症し亡くなったと言っています。つまり、酔っぱらって、風邪をこじらせ肺炎になったということです。熱病にかかって亡くなったとも言われます。毒殺されたという説や、虫による感染が原因だとか、様々な説があるようですが、酔っぱらって亡くなったというのが、案外、真相に近いのではないかと思います。
とにかく、ギリシャが最も強い時「その大きな角」であるアレクサンドロスが死んだのです。
そして、その代わりに「際立った四本の角」が現れました。
ガブリエルの説明を見てみましょう。
アレクサンドロス大王は、急死したので後継者を指名していませんでした。それで後継ぎの座を巡って争いが起こります。これが、歴史の教科書に載っている「ディアドコイ(後継者)戦争」です。
最終的に、アレクサンドロスのギリシャ帝国は四分割されます。四人の将軍が、それぞれ支配しますが、彼らにはアレクサンドロス大王のような勢力は、もちろんありませんでした。
「際立った四本の角」とは何でしょうか。大王の死後、ギリシャ帝国は四人の将軍が分割しました。カッサンドロスはマケドニアを、リュシマコスは少アジア(アナチリア)を、セレウコスはシリヤ・メソポタミアを、プトレイマイオスはエジプトを支配しました。
福音に生きる ダニエル書講解説教 油井義昭著 一粒社
四人の将軍の名前をすべて覚える必要はありません。忘れて大丈夫です。
けれど、一人だけ覚えていてください。シリヤを支配した「セレウコス」です。なぜなら「小さな角」は、この「シリヤのセレウコス」から出るからです。
もう一本の小さな角について
四本の角のうちの一本から「もう一本の小さな角」がでてきます。私たちは、この「小さな角」に注目しましょう。この「小さな角」は、非常に「大きく」なります。南のエジプトと、「麗しい国」でありイスラエルを含む東の地域に対して勢力を強めます。
その角は「天の軍勢に達し」と記されています。ここは、解釈が難しいところです。
ガブリエルの説明から理解できることを見てみましょう。
「それらの治世の終わり」とは、四つの角が引き継いだ「ギリシャ帝国」の終わりにという意味にも思えます。
「横柄で策にたけた一人の王」とは「もう一本の小さな角」と同じ人物であることは間違いないでしょう。
この角は、「大きくなって天の軍勢に達し、天の軍勢と星のいくつかを地に落として、これを踏みつけ」ます。
これは、ガブリエルの説明を素直に読むと、「横柄で策にたけた一人の王が」「有力者たちと聖なる民を滅ぼす」ということになりますね。
「背きの行いにより」とは、「横柄で策にたけた一人の王」が「聖なる民」を、その策によって裏切ることを表しているのかもしれません。
「軍勢」すなわち「聖なる民」と常供のささげ物が「その角」に引き渡されるとは、「その角」の思いのままにされるということです。つまり「その角」は、聖徒を苦しめ、聖所を荒らすということでしょう。
「真理を地に投げ捨て」の意味は、よく分かりません。「律法」を廃棄するのかもしれません。「みことば」を踏みにじるようなことをするのだろうと思います。けれど、もしかすると、何らかの「契約」を破って、自分の計画を成し遂げるということなのかもしれません。
ガブリエルは「横柄で策にたけた一人の王」について言います。
「小さな角」の特徴は「狡猾さ」です。彼は、たいへん「横柄で策にたけた王」なのです。欺きを武器とし、多くの人を滅ぼします。彼はは、人を騙して陥れ、事を成し遂げるのです。
そして「小さな角」は、あろうことか「君の君」、つまり、主なる神に向かって立ち上がります。
しかし、人手によらず、彼は滅びます。
以上が「小さい角」について分かることです。
問題は、この「小さな角」が何を、もしくは誰を、表すのかということです。
アンティオコス4世エピファネスについて
この「小さな角」は、アンティオコス4世・エピファネスという人物を表していると言われます。この説については、ほとんど異論はないようです。
ダニエル11章を学ぶと「アンティオコス4世・エピファネス」について、かなり詳しく分かります。ですから、また11章で学びたいと思っています。
今回は、「アンティオコス4世エピファネス」がどんな人物であったのかを簡単にお話したいと思います。
この「一人の卑劣な王」と呼ばれているのが、アンティオコス4世エピファネスであると言われています。
「エピファネス」とは「顕現」という意味です。「現人神」と言った方が分かりやすいかもしれません。つまり、彼は自分のことを「神」であると名乗ったのです。
彼は、特に「麗しい国」であるイスラエルを激しく憎みました。というより「ユダヤ教徒」を激しく憎んだと言ったほうがいいかもしれません。なぜなら、主の律法を捨てる改宗者(背教者)は優遇したからです。
彼は、ユダヤ教徒十万人を殺害したと言われます。とにかく気分が悪くなるような残虐な行為を行ったのです。
アンティオコス4世は、今までかつてないほど残虐非道な王でした。
ユダヤ人に禁じられた「豚」を神殿に献げ、豚の血を神殿の周囲に注ぎ、ユダヤ人が聖書によって礼拝するのを禁じたのです。
さらに、ユダヤ教徒十万人を殺害し、祭司の職を極悪人に与え、ユダヤ人に神殿の中で偶像ジュピターを拝ませ、また、淫乱なことを行わせます。アンティオコスは神殿を汚して、「君の君」なるお方に歯向かったのです。
福音に生きる ダニエル書講解説教 油井義昭著 一粒社
アンティオコス4世は、急な病で病死したと言われています。
「しかし、人の手によらずに彼は砕かれる」と記されていることの成就と言われます。
「二千三百の朝と夕」には諸説ありますが、アンティオコス4世がエルサレムに干渉し始めたBC171年からユダ・マカバイたちが聖所を取り戻したBC165年の期間を表すという説が一般的ではあります。しかし、確定ではありません。
アンティオコス4世の時代は、ギリシャ帝国の終わりの時代でした。それは、ダニエルが預言したときから、約400年後のことです。
つまり、これはすでに起こったことであるということです。マラキ書からマタイの福音書の記されるまで、かなりの期間、聖書の記事はありません。その間の出来事なのです。
ゆえに、このダニエルの預言は「成就した」「すでに終わったこと」とする学者さんもいます。
確かに、この預言は「アンティオコス4世エピファネス」が歴史の中で行ったことに合致しています。「小さな角」は「アンティオコス4世エピファネス」のことであるとするのは、間違いではないと思います。
しかし、この預言は、それで終わりなのではありません。ガブリエルは、この幻の解き明かしの前にダニエルに言いました。
もちろん、ダニエルからしてみれば「アンティオコス4世」も未来のことで、終わりのことであると言えるかもしれません。実際、そのように主張する説もあります。
しかし、私はそうは思いません。
「終わりの憤り」が「アンティオコス4世」の時代に終わったとは思えません。神の憤りは「御使いが最後の七つの災害」を携えるときに極まるのです。つまり、大患難の最後の三年半です。
これは、つまり所謂「二重預言」であると思います。
ですから「アンティオコス4世エピファネス」は、何者かの予型であると私は思います。「終わりの憤り」の時に「アンティオコス4世」が行った残虐行為以上のことを行う「何者か」が現れるのです。
そしてそれは、イエス様の言われた「荒らす忌まわしいもの」であることに間違いはないでしょう。
これは、とても慎重に考えねばなりません。「読者はよく理解せよ」と言われているのですから。特別に「理解」するように努める必要があるのかもしれません。
それは、いったい何を表すのでしょう?
この「十本の角を持つ海から上がって来た獣」が「反キリスト」であるとする説には、ほとんど異論はありません。
問題は、ダニエル8章の「小さい角」が「海から上がって来た獣」なのかということです。つまり「反キリスト」なのかということです。
さて、今から、とてもややこしいことを言います。頑張ってください。
少し考えてみましょう。
8章に登場する「小さな角」が「海からの獣」であるとするならば、7章に登場した「もう一本の角」は、いったい何なのでしょう?
前回の話を思い出してください。
私は、この7章に登場した「十本の角からでてきたもう一本の角」こそが「反キリスト」であると考えます。つまり「海から上がって来た獣」であると思っているのです。
それでは、7章の「十本の角からでたもう一本の角」と、8章の「小さな角」とは、同じ人物を表すのでしょうか?
7章の「十本の角から出るもう一本の角」と8章の「小さな角」とは、同じ人物を表すというのが、一番多い意見です。つまり両方の角とも「反キリスト」を表しているとします。
しかし、また「両者は別の人物だ」とする意見もあるのです。
七章の小さな角は西欧に起こり、再興するローマ帝国の頭となる。本章(8章)の小さな角は、しばしば同じ人物を代表するとされて来たが、私たちはこの点で少し意見を異にする。両者の間には区別がある。この二番目の小さな角は東洋の、分割されたギリシャ帝国の一つから起こる。
ダニエル書 H・S・ペイズリー著 伝道出版社
私も「両者の間には区別がある」のではないかと思います。
7章の角は「第四の獣」つまり「ローマ帝国」から発生しました。
8章の角は「ギリシャ帝国」から発生しています。つまり「第三の獣である豹」から発生するのです。
確かに、両者の特徴はよく似ています。終わりの時に現れる「反キリスト」の特徴にも似ていると思います。また、アンティオコス4世の残虐非道な行為を「反キリスト」と重ね合わせるのも、なるほど、そうかもしれないと思わされはします。
しかし、また、この両者は「出自」「起源」が違うということを覚えておくべきだと思います。
そして、7章と8章では、中心となるものが異なっているということも覚えておくべきです。8章の中心は、どう考えても「イスラエル」です。ガブリエルの説明を素直に読むならばそうです。
ですから、この8章の角を「アンティオコス4世・エピファネス」とするならば、この人は「反キリストの型」ではなく、違う人物の予表ではないかと思えます。
まあ、しかし、このことは、また学びを深める中で明らかになっていくだろうと信じています。ですから、続けて学んでいきたいと思います。
とりあえずですが、今の段階での私の意見は以下のとおりです。
私は、この小さな角は、ダニエル書11章に登場する「北の王」であろうと思います。この「北の王」については、11章で学びましょう。
そして、さらに言うと…(あくまでも個人的な意見です)
黙示録には「海からの獣」とは別に「地から上って来る獣」が存在します。この獣は「偽預言者」と呼ばれます。
私は8章の「小さな角」は「地からの獣」である可能性が高いと考えています。「狡猾さによってその手で欺きを成し遂げる」という特徴にも当てはまるように思います。
つまり、今の段階で私は、7章に登場する「10本の角から出るもう一本の角」が「反キリスト」であり、8章に登場する「小さな角」を「偽預言者」のことだと考えているということです。
このことは、また11章でもう少し掘り下げて考えてみたいと思っています。それまで、あなたも少し考えてみてください。
起きて、そして、王の事務を執りました
ダニエルに与えられた幻は「真実」です。それは、もうすでに実際に起こりました。そして、また再び同じようなことが起こるのです。
聖書の預言を心に留めましょう。終末預言を正しく理解することは、私たちの信仰生活に必要不可欠であると私は信じています。
これは、終りの憤りの日に起こることです。主は、私たちにそのことを啓示してくださいました。
私たちは、この幻の意味を心に留めます。すべてを理解できなくても、このことが「真実」であることを信じます。ますます悟りが与えられるように祈りましょう。終わりの時に堅く立つことができるように求めましょう。
私たちに、この幻が啓示されているのは「とりなしの祈り」をささげるためであると信じます。
私たちは、過去において「アンティオコス4世・エピファネス」がイスラエルに何をしたかを知りました。そして、それは、再び繰り返されるのです。私たちは、心を尽くして、世界のために、イスラエルのために祈りましょう。
ダニエルは、病気になって寝込んでしまいました。あまりにも「及びもつかないこと」「恐ろしいこと」「理解できないこと」であったので心身ともに疲れ果ててしまったのかもしれません。
しかし、ダニエルは起き上がります。そして、いつものとおり「職務」に励むのです。
私たちは、終末の時を生きています。
この時代に生かされている「今だからこそ」目の前に与えられている「職務」を忠実に行いましょう。自分は「みことばの奉仕」をしていないから、忠実に行っても意味はないとは言わないでください。
ダニエルは、バビロンに置かれていました。幻の中で「多くの日の後」に起こるイスラエルの危機を知りました。それは、恐ろしく、彼を寝込ませるほど疲弊させました。
しかし、ダニエルは起きました。そして、「王の事務を執った」のです。ダニエルは、与えられた幻に振り回されて、仕事を辞めるようなことはしませんでした。
ダニエルにとって「王の事務を執る」ことは、消えゆくバビロンのために働くということです。
ダニエルは、啓示により「バビロンは滅びる」ということを知っていたでしょう。しかし、それでも自分に与えられた職務に忠実であり続けました。
これは、終りの時代を生きる私たちへの素晴らしい模範です。
私たちも、ダニエルのように生きましょう。
将来、必ず起こる事を心に留めて生きましょう。私たちは、今、目の前にあることに忠実でありましょう。そして、その置かれている場で、天を仰いで生きるのです。
祝福を祈ります。