No.176 おまけのスズメでさえ忘れられてはいないのです!

すずめ

ルカ12:6
五羽の雀が、ニアサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。

ずっと昔の「名も無き少年」の話です

いつも楽しそうで、嬉しそうな少年がいました。

貧しい少年は、家のために働らかなければなりませんでした。学校にも行けず、遊ぶこともできません。

しかし、いつもニコニコと楽しそうなのです。

ある時、あまりにも不思議に思った紳士が尋ねました。すると、少年は答えたそうです。

「僕は、おまけの雀なのさ」

少年は、日曜学校で「五羽のすずめ」の話を聞いたのです。

ルカ12:6
五羽の雀が、ニアサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。

アサリオンとは、お金の単位のことです。

おそらく「二羽のすずめ」は「1アサリオン」で売られていたのでしょう。とすると、本来は「4羽」で「2アサリオン」で売られるはずです。

つまり「5羽」で「2アサリオン」ということは、「4羽買ったら、1羽はおまけ」ということです。

そんな「おまけ」につけられたスズメでさえ、神の御前に忘れられることはないとイエス様は言われたのです。

少年は、その「おまけのスズメ」とは自分のことだと思ったと言うのです。そして、そう思ったら、何も心配がなくなって毎日が楽しくなったと言うのです。

私は、こ少年の「おまけのスズメさ」という言葉を、たびたび思い起こします。おそらく、何かのデボーショナルガイドで読んだ例話であると思います。

名前も知らない、いつの時代の人かも分からない、どこで読んだ話かも曖昧である、そんな少年の言葉に感動を覚え、励ましを受けるのです。

「おまけのススズさ」とは、なんと謙遜な言葉だろうと思うのです。しかし、決して自己卑下などではありません。爽やかで清々しい気持ちを感じます。どこか誇らしげに聞こえます。

もちろん、文脈的には「そんな雀の一羽でも」と記されていますから、私たちは「おまけの雀以上のもの」であるとイエス様は言われたのです。

しかし、少年のセリフを聞くと、私には、なんだか「おまけ」であることが羨ましく思えてしまうのです(笑)

あなたには何か心配事がありますか?

毎日、嬉しく楽しく暮らしていますか?

一羽の小さなすずめのことを考えてごらんなさい。だれにも顧みられなくても 神は顧みてくださるのです あなはきっと慰められるでしょう。たとえ一羽でも 神がこれを愛しておられることを知れば
日の出に向かって カウマン夫人著 日本ホーリネス教団出版部

「何がそんなに嬉しいの?」と誰かに聞かれるような生活を送りたいと私は願います。

「おまけのスズメ」のことを考えてみてください。

そうすれば、主があなたを愛しておられることに気がつくはずです。そして、そうすれば、上を向いてしっかりと歩けるはずです。

おまけのスズメさえ忘れることのない方を感謝します
私は、スズメ以上の者です
私は、あなたに忘れられることはありません