No.174 終わりではなく始まりです

朝の木漏れ日

黙示録21:5
すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」

御座に座っておられる方が

ヨハネに「書き記せ」と言われたのです。

聖書のことばは、すべて「神の霊感」によるものです。そして、もちろん「黙示録」もそうなのです。

黙示録は、何か得体の知れない恐ろしい事が記されているのではなく「真実で信頼できる」神のことばなのです。

マタイ24:35
天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。

イエス様は、はっきりと「この天地は消え去ります」と言われました。黙示録にも「以前の天と以前の地は消え去る」と記されています。

すべてのものは終わります。しかし、それは「新しい始まり」のためです。

私たちは確かに、すべてのものの終わりに向かっています。けれど、逆に言えば「始まり」に向かっているとも言えます。

「終わり」は「始まり」なのです。もっと言うなら「終わらなければ、始まらない」のです。「終わり」を恐れる必要はありません。「死」という「終わり」すら恐れる必要はないのです。

私たちが「終わる」のは新しく「始まる」ためです。

ですから、どんなものにも、しがみついていはいけません。手離したら「終わる」と心配しなくてもよいのです。

「終わる」ものは終わらせればよいのです。

私たちは御国に行くまでの間、様々な「終わり」を経験します。悲しい終わり、辛い終わりも経験するでしょう。

しかし、生かされている限り、それは「終わり」ではなく「始まり」になり得ます。

「見よ、わたしはすべてを新しくする」と御座に着いておられる方が言われます。

私たちは、すべてを「新しく」される方を、仰ぎ見ましょう。主の恵みは尽きません。主のあわれみは「朝ごとに新しい」のです。

夜が終わって、朝が来ます。今日は終わって、また明日が来ます。そうして、その先にある御国を待ち望みつつ歩みましょう。

Ⅱペテロ3:13
しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。

私は主を仰ぎ見ます
すべてを新しくされる方を信頼します
今日は、終わりではなく始まりです