No.165 分からないことを認めて待ち望みます

静かな部屋

詩篇131:1
主よ 私の心はおごらず 私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや奇しいことに私は足を踏み入れません。

私はたましいを静めました

詩篇131:2
まことに私は 私のたましいを和らげ 静めました。
乳離れした子が 母親とともにいるように 乳離れした子のように 私のたましいは私とともにあります。

ダビデは「たましいを和らげ 静めました」と言っています。それは、つまり「たましいが騒いでいた」ということです。

おそらく、ダビデには理解できないことがあったのでしょう。周囲に理不尽なことがあったのかもしれません。自分の考えの及ばない出来事が起こったのかもしれません。

それらは、ダビデの心を悩ませたのでしょう。その理由を知りたいと切に望んだのかもしれません。

ダビデは、騒ぎ立てる自分のたましいを静めなければなりませんでした。そうして、見事に静めたのです。

あなたは自分のたましいを静める術を知っていますか。

私の心は、すぐに思い煩います。私のたましいは、よく騒ぎ立てます。そのようなとき、私もダビデのように言います。

「私の心よ、おごり高ぶるな。おまえは、何も知らないのだから。及びもつかない大きなことに足を踏み入れるな」と。

詩篇131:1
主よ 私の心はおごらず 私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや奇しいことに私は足を踏み入れません。

たましいを静めることは「待ち望みの姿勢」のために必要なことです。

それは、すべての「思い」「はかりごと」を主に服従させることです。主がすべてを支配しておられることを認める心です。

私たちは「どうして」や「なぜ」を、主にゆだねましょう。考えても答えの出ないことを思い巡らせても、何の良いこともありません。

私たちの偉大な主を見上げましょう。主は、すべてをご存じです。どんな時でも、それは私たちを安心させる事実です。

私たちは、主の御前に「知らなければならないことさえ知っていない」のですと告白して、ただ主を待ち望めばよいのです。

詩篇131:3
イスラエルよ 今よりとこしえまで 主を待ち望め。

人にできる最善のことは「主を待ち望む」ことです。

私は主を待ち望みます
分からないことを認めてゆだねます
今よりとこしえまで待ち望みます