No.154 永遠の視点に立って生きます

時計

Ⅱコリント5:17
私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほどの重い栄光を、私たちにもたらします。

一時の軽い苦難と言うけれど

パウロの苦難は決して「軽い」ものではありませんでした。

Ⅱコリント11:26
何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、

パウロの旅は苦難の連続でした。心も体も辛く苦しい目にあったのです。

しかし、パウロはそれらを「一時の軽い苦難」と言います。

私たちの苦難は「永遠」に比べると「一時」です。また、与えられる「重い栄光」に比べたら「軽い」のです。

「永遠」という視点に立ったなら、その苦難は「一時」のもので「軽い」のだとパウロは言っているのです。

「永遠」とは「長い時間」のことではありません。それはもはや「時ではない」領域です。

「この世」は「一時」です。それは、長く感じたとしても、必ず「終わり」ます。

Ⅱコリント5:18
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

見えるものは「一時的」です。私たちの苦難がどれだけ辛いものであったとしても必ず「終わり」ます。それは、決して「永遠」には続きません。

私たちは「時」のある世界から「永遠」の御国へと向かっているのです。「時」の終わりは「永遠」の始まりです。

私たちは今「時の中」で生かされていますが、すでに「永遠」に生きる者です。

「永遠」に生きているのだということを忘れてはなりません。

「永遠」を無視してしまうと、今の苦難を重く感じるようになります。自分の人生が辛くみじめに思えます。

しかし「永遠」に生きていることを認識すると、その苦難は「軽い」のだと思えるでしょう。今のこの時は「一時」であり、いつまでも続かないのです。その苦難は必ず終わるのです。

私たちが遭遇するすべてのことは「一時的」です。

私たちは「一時」のものに揺り動かされる必要はないのです。いつまでも続かないものに集中する必要はないのです。

「永遠」に生きる者として「出来事」を見ましょう。

そうすれば「一時の苦難」が私たちに「重い栄光」をもたらすことが分かります。主が用意してくださっているのは、何にも比べることのできない「重い栄光」です。

私たちには抱えきれないほどの素晴らしい栄光が用意されているのだと信じます。

私は永遠を生きています。
私は見えないものに目を留めます。
永遠の視点に立ちます。