No.146 痛みは祝福を遠ざけません

朝もや

Ⅰ歴代誌4:10
ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。」神は彼の願ったことをかなえられた

イスラエルの神に呼び求めて言ったからです!

Ⅱ歴代誌4:9
ヤベツは彼の兄弟たちの中で最も重んじられた。彼の母は、「私が痛みのうちにこの子を産んだから」と言って、彼にヤベツという名をつけていた。

ヤベツとは、「痛み」という意味です。もう少し詳しく言えば「痛みをもたらすもの」です。

彼の母は、産みの苦しみを味わったのでしょう。それは、とても激しく辛いものであったのかもしれません。彼は、母にとって「痛みをもたらすもの」であったのです。

このことは、ヤベツにとっても、名前のとおり「痛みをもたらした」ことでしょう。彼は「痛みとともに」「痛みを抱えて」生きていかねばなりませんでした。

しかし、聖書は言います。「ヤベツは彼の兄弟たちの中で最も重んじられた」また「神は彼の願ったことをかなえられた」と。

「ヤベツの祈り」は、とても有名です。私は彼の祈りがとても好きです。

Ⅰ歴代誌4:10
ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。」神は彼の願ったことをかなえられた

ヤベツが「兄弟たちの中で最も重んじられた」のは、この祈りのおかげです。

しかし、私たちが、それをそのまま真似をして祈っても「重んじられる」ことはないでしょう。ヤベツは「重んじられる」ために祈ったのではないからです。

大切なことは「祈りの文言」ではなくて「イスラエルの神に呼び求めて言った」ことです。祈りの内容が重要ではないと言っているのではありません。それはもちろん大事です。

しかし、最も大切なことは「誰を呼び求めるか」なのです。そして、その次に大切なことは「ヤベツ」が祈ったということです。「痛み」を抱えて、それでも、いえ、それだからこそ「神に呼び求めた」ということが重要なのです。

「痛み」を覚えることがありますか?

思い出すたびに心が痛んできしむようなことがあるでしょうか?

ヤベツのように「痛み」を抱えて、それでも歩かねばならないことが私たちにもあります。私たちも「痛みを抱えて」御前に行きましょう。そして「イスラエルの神を呼び求めて」言うのです。

「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。」

主は、あなたが「痛み」を抱えていることをご存じです。あなたが、それを抱えながら御前に来たことをご存じです。

主は、あなたが祝福を求めていることを知っておられます。そして、これ以上、痛みを覚えることがないように願っていることをご存じです。

どうか、覚えてください。

神が彼の願ったことをかなえられたのは「イスラエルの神に呼び求めて言った」からです。彼が「ヤベツ」として御名を呼び求めたからです。

ヤベツの「痛み」は、「神を呼び求める」ために用いられました。彼は「痛み」によって神に近づいたのです。

「重んじられる」ためではなく、ただ「神に呼び求める」人を、主は求めておられます。「痛み」を抱えていながら、それでも祝福を諦めず、ただ上を見上げ「神に呼び求める」人を求めておられるのです。

「痛み」は祝福を遠ざけるものではありません。祝福は、私たちの全能の神から来ます。全能の神が祝福を与えようと思われたなら、誰も、何も、どんな痛みも苦痛も、それを邪魔することはできません。

私たちも呼び求めましょう。私たちの手をも心も、ただ主に向かって上げましょう。

主があなたを大いに祝福してくださいますように。

私は主を呼び求めます。
ただ主だけにより頼みます。
祝福は全能の神からのみ与えられます。