マタイ22:29
イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは聖書も神の力も知らないので、思い違いをしています。
サドカイ人たちに言われました
サドカイ派の人々は「復活はない」と言っていました。また、彼らは、聖書のすべてではなく「モーセ五書」だけを認めていました。
そのような彼らがイエス様に質問したのです。
七人の兄弟が、次々と子どものいないまま死んで、長男の嫁を弟たちが義務を果たすために、次々と妻としたけれど、復活の際、彼女は誰の妻となるのかという質問です。
これは彼らの空想上の話、ただの妄想です。そのような実例があったわけではありません。しかし、サドカイ派の人々は大真面目に質問しているのです。彼らは、ずっとこのようなことを考えては議論をしているのです。
サンヘドリンと呼ばれる最高議会のメンバーには、サドカイ派の人々が大勢いました。彼らは民の導き手であるはずです。
しかし、イエス様は彼らに言われます。
民の導き手であるはずの人々が「聖書も神の力も知らない」ということが実際にあるのです。
彼らは「むなしい議論」に迷い込んでいるのです。そして、自分が教えていることについて理顔していないのです。彼らは自分が「知っている」と思っていることを「理解してはいない」のです。
聖書をそのまま受け入れるならば「復活はない」などという答えを導き出すことはできません。サドカイ派の人々は「復活はない」と主張していましたが、天の御国について何一つ理解してはいませんでした。彼らは「思い違い」をしているのです。
私たちは「思い違い」してはなりません。「聖書」と「神の力」を知らなければ「思い違い」することになります。
誰か偉い人たちが「主張」しているからと言って、すべてを信じ込んではいけません。
あなたは、その主張を「理解」していますか?
何も考えずに、権威あるとされる誰かの「主張」をそのまま受け入れてはなりません。そのようなことをすれば、あなたも「思い違い」をすることになるでしょう。
あなたの理解は「聖書」と「神の力」を知ることからきます。「思い違い」を回避したいなら、「聖書」と「神の力」を知ることです。
聖書を本当の意味で知ることを求めましょう。神の御思いは文字の後ろにあります。私たちは、ただ知的に知ること以上を求めましょう。「神の力」は体験するものです。
私は「聖書」と「神の力」を知ることを求めます。
私は神の御力を体験することができます。
主を本当に知ることができますように。