No.135 明日のことまで心配しなくてもよいのです

駆け寄る犬

マタイ6:34
ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

明日に配る心はありません

心配という漢字は上手くできています。「心を配る」と書きますね。私たちは心配するとき「心を配っている」のです。

何を食べようかと心配するときは「食べる物」に心を配っているのです。仕事のことで心配するなら「仕事」に心を配っていることになります。

私たちは「配る」ことができるほど「心」を持っているわけではありません。私たちは「一つのこと」を思うだけで精一杯です。一心にイエス様を思っているならば、他の物に心を配る余裕などあるわけないのです。

主は言われます。

マタイ6:34
ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

「明日のこと」とは、「まだ起こっていないこと」です。

私たちの心配のほとんどは「まだ起こっていないこと」に関するものです。私たちが「起こるかもしれない」と不安に思うことのほとんどは実際には起こりません。そんな不確かな漠然とした不安に怯えて「今日」を台無しにしてはなりません。

「明日」のことは心配しなくてよいのです。「明日」に配る心は、私たちにはありません。

主は常に「今日」「今」働いてくださいます。私たちは「今日」現わされる主の御業を見逃してはなりません。

Ⅱコリント6:2
神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける」
見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。

今、主を見上げましょう。主は、今、この時に恵みを注いでくださいます。

明日のことは心配するのではなく委ねるのです。

私たちには「明日」を知る術はありません。しかし、「明日」はすでに主の御手の中にあります。

主が「明日」を治めておられるのです。私たちは心配せずに「今日」を精一杯に生きましょう。

「今日」主が、あなたを恵まれますように。

私は「明日」を心配しません。
「明日」はイエス様が治めておられます。
今日、主の御業が現されますように。