No.106 良い行いはあらかじめ備えられています

ゴーヤの花

【エペソ2:10】
実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださいました。

良い行いをするために造られました

真面目な人ほど陥りやすい間違いがあります。

「私は良い行いをするように造られたのだから、神のために良い行いをしなければならない」と考えてしまうことです。

自分の生活を顧みるとき、とても「良い行い」に歩んでいるようには見えないと、私たちは思います。

そして、「良い行い」に歩もうと決意するのです。しかし、その決意は三日もすれば破られます。

私たちは自分に怒りを覚えます。失望します。それでも、今度こそはと思って、再び、決意をします。

そんなことを何年も繰り返してしまうのです。

真面目で意思の強い人ほど、その傾向は強いと思えます。

古い自分には「失望」するのではなく「絶望」し「葬り去る」のです。

Ⅱコリント5:17
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

私たちは「新しく造られた者」なのです。

古い考え方は、すべて過ぎ去ったのです。

「良い行い」を自分で編み出すのは、もうやめましょう。

それは「あらかじめ備えてくださった」と書かれています。

過去形です。つまり、それは「すでにある」のです。

今日、あなたための「良い行い」は、すでに備えられています。

あとは「出会う」だけなのです。

「神のために」と思えば思うほど、神ご自身から目を離してしまうということは、悲しいけれど起こり得るのです。

「神のために」と必死で「良い行い」を探しているのに、どんどん「神から離れてしまう」のです。

「神のために」ではなく「神とともに」歩みましょう。

「主よ、あなたが良い行いを備えてくださっていることを感謝します」と言ってみてください。

私たちが、自分で編み出す良い行いより、主が備えてくださった良い行いの方が何倍も優れています。

主は、私たちに計画をお持ちです。

それは、日々の小さなことから、人生の大きなことに至るまで、すべてにおいてです。

天の御国に召される日まで、毎日、計画をお持ちです。

今、私たちの自分で考えた小さな計画も、大きな計画も、すべて捕虜にして、主に差し出しましょう。

そして、今日も、明日も、天の御国に至るまで、主のご計画だけが成るように祈りましょう。

私たちは「神の作品」なのです。

神の最高傑作の完成を邪魔してはなりません。主の御手にすべてをゆだねましょう。

主の備えてくださっているすべての「良い行い」に歩むことができますように。

あなたの上に、主の「ご計画」が解放されますように。

私は「神の作品」です。
良い行いが備えられていることを感謝します。
私の思う通りではなく、主のみこころが成りますように。