No.679 ひざをかがめるなら祝福を見出します

詩篇34:1
私はあらゆるときに 主をほめたたえる。私の口には いつも主への賛美がある。

いつも主への賛美を

ダビデは、きっと「恥ずかしい」と思ったでしょう。

Ⅰサムエル21:13
ダビデは彼らの前でおかしくなったかにようにふるまい、捕らえられて気が変になったふりをした。彼は門の扉に傷をつけたり、ひげによだれを垂らしたりした。

ダビデは危機を脱出するために「気が変になったふりをした」のです。この知恵が聖霊様からのものだとは思えませんが、仮にそうであったとしても、ダビデが「恥」を感じたことは間違いないでしょう。主に心からより頼まず、人に頼ろうとしたことを悔いたかもしれません。

サウルから逃げて、行く当てもなく不安と恐れの真っただ中にいるダビデ…

その上「屈辱」までも味わうことになったダビデ…

辛くて、みじめで、孤独なダビデ…

しかし、そのような状態であっても、ダビデの口には「主への賛美」があったのです。このことから、賛美は決して「感情」や「状況」によるものではないことが分かります。

詩篇34:1
私はあらゆるときに 主をほめたたえる。私の口には いつも主への賛美がある。

「あらゆるとき」とは「どんな時でも」「どんな状況でも」と言う意味です。

「主をほめたたえる」ことは、感情に左右されません。状況にも左右されません。

私たちは「あらゆるとき」に、主をほめたたえることができるのです。

「ほめたたえる」と「祝福する」とは、どちらも同じヘブル語「バラク」です。

「バラク」の本来の意味は「ひざをかがめる」です。

人が、神の前に「ひざをかがめる」なら、それは「ほめたたえる」ことです。

神が、人の前に「ひざをかがめて」くださるとき、それは「祝福する」ことなのです。

主は、降りて来てくださる神であることを覚えてください。主は、ひざをかがめて祝福することを厭われない神です。

イエス様は、神のあり方を捨てることができないとは思われませんでした。主は、私たちを祝福するために「へりくだって」くださる方なのです。

あなたが人生のどんな季節を通っていても、主は、あなたのそばにおられます。

あなたが恥を感じていて、とても目を上げられずに顔を伏せたままであっても、主は自らひざをかがめ、あなたの手を取ってくださいます。

あなたが失意のどん底にあって孤独で泣きそうになっていても…

よみにまで下られた方は、あなたのいる失意のどん底にも下ってきてくださいます。

ゆえにあなたも、その場所で「ひざをかがめ」なさい。

あなたのために「ひざをかがめてくださる方」を信じなさい。

あなたがひれ伏すなら、主は身をかがめ御手を伸べてくださいます。

あなたがほめたたえるなら、主の祝福を経験します。

あなたの口にも絶えず賛美が与えられるでしょう。

ダビデが見出した祝福を、あなたも必ず見出すことができるのです。

私は、主をほめたたえます
御手を伸べてくださる方を信じます
私は絶えず賛美します