黙示録17:17
それは、神のことばが成る時まで、神はみこころが実現するように王たちのこころを動かし、彼らが一つ思いとなって、自分たちの支配権を獣に委ねるようにされたからです。
10本の角は10人の王です
前回は黙示録17章14節までを学びました。
今回は、少し重複しますが12節から、もう一度学んでいきたいと思います。
さて、思い出してください。
大淫婦が乗っている「緋色の獣」がどのような姿をしていたのかを。
獣は緋色で、七つの頭と十本の角を持っていました。
七つの頭とは「七人の王」のことだと御使いは言いました。前々回、ややこしい話をしましたね。「ローマ皇帝説」とか「世界帝国説」などという解釈について学びました。
では「十本の角」とは何のことでしょう。
御使いは「十本の角とは十人の王たち」だと言います。
「七つの頭」も王たちのこと「十本の角」も王たちを表わすなんて、また何ともややこしい話ですね(笑)
「緋色の獣」は、終わりの日にあらわれる「海から上って来る獣」のことです。
この獣が「反キリストの王国」を表わすのは間違いないでしょう。
ダニエルは、この獣を「第四の獣」と呼んでいます。
終わりの時代に現れる「世界帝国」は、今までのどの帝国とも異なっています。
それは「恐ろしくて不気味で非常に強い」のです。そして、最初は「独裁者」が一人で支配するのではなく「十人の支配者」によって統治されるようです。
使徒ヨハネが見た「十本の角」は、まだ王権を受けていない「十人の王」です。
彼らは、いずれ王権を受けて、獣とともに支配者となります。しかし、十本のうち三本の角は引き抜かれます。
この箇所を読む限りでは、反キリストは「最初の10人」に入っていないように思えます。10人の王たちの「その間」から出現するように思えます。
これは「死んだように思われたが、その致命的な傷が治った獣」を描写するものだという解釈もありますが、どうでしょうか。なかなか解釈が難しいですね。
いずれにせよ、終わりの時代には「反キリスト」に力と権威を委ねる支配者たちが現れるということは確かです。
獣すなわち反キリストの独裁帝国が誕生します。彼らは、世界の王となります。しかし、その権威は「一時」だけです。
「知恵ある考え方」をすることのできる人は「子羊の勝利」を理解することができます。
悪しき勢力が立ち向かうのが「獅子」ではなく「子羊」であることは注目すべきことです。
救いはいつも「子羊」にあります。勝利は「子羊」のものなのです。
私たちは「子羊の血と証のことば」によって打ち勝ちます。
確かに終わりは来ます。困難な時代が来ます。悪しき者が現れて、大々的に世界を支配する日がやって来ます。
世の中は、どんどん悪くなるというのは、ある意味において本当のことです。
イエス様が言われたとおり、私たちには苦難があります。
以前の新改訳では「勇敢でありなさい」と訳されていました。
主イエスは、なぜ「勇敢であれ」と言われたのでしょう。なぜ「勇気を出せ」といわれたのでしょう。
それはイエス様が「すでに世に勝たれた」からです。
「完全な勝利」は未来に現れますが、今現在すでに、主イエスは「勝利を得て」おられるのです。
主が「終わり」から物事を見ておられることを覚えてください。
「恐ろしくて不気味で非常に強い獣」は確かに現れます。しかし、その権威は「一時」なのです。
子羊は「恐ろしくて不気味で非常に強い獣」に打ち勝ちます。
あなたには苦難がありますか?
あなたの目の前に「恐ろしくて不気味で非常に強い」何かが立ちはだかっているでしょうか?
自分が小さくて弱い子羊のように感じるでしょうか?
「とても無理だ。自分なんかの手には負えない」と思うでしょうか?
自分の無力さに自信を失い、心が折れそうになることが私にもあります。
しかし、忘れないでください。
勝利を得たのは「子羊」であるということを。
世の中の王は「獣」です。力を誇示し権力を振りかざします。
これは「大きな世界」だけのことではありません。私たちの周囲の「小さな世界」でも同じような「小さな支配者」がいるでしょう。
あなたは、彼らに「力」で立ち向かう必要はないのです。いえ、むしろ「力」で立ち向かってはなりません。
私たちの戦いは「血肉」に対するものではありません。霊の戦いは「力の対決」ではありません。敵は「力」を誇示してくるでしょうが、動揺してはなりません。
霊の戦いは「真理対偽り」の戦いです。霊の戦いは「光か闇か」の戦いです。
あなたは「真理の帯」を締め「みことばの剣」を振りかざしなさい。そして、必ず「光の中」に立ち続けなさい。そうすれば、決して、打ち負かされることはありません。必ず「勝利」します。
主イエスの勝利を宣言することに飽きてはなりません。
「子羊」の勝利を日々宣言するのです。
「子羊」こそ「王の王」です。「主の主」です。その主権は「永遠」です。
一時だけの権威を誇る獣など恐れることはありません。
今、あなたの周囲で「悪者が栄えている」ように思えても失望してはなりません。世と世の欲は過ぎ去るのですから。
反キリストに「力」と「権威」を委ねる王たちは、おそらく利己的な思い、保身の思いからそうするのでしょう。
しかし、愛する兄弟姉妹。
私たちは違います。私たちは「子羊とともにいる者」です。
あなたは「召されて選ばれた忠実な者」です。
主のために生きましょう。主とともに生きましょう。
私たちは生きるにしても死ぬにしても「主のもの」です。
神のことばが成る時まで
さて、御使いは使徒ヨハネに言いました。
使徒ヨハネが見た「大淫婦」は、大水の上に座していました。
その大水とは「もろもろの民族、群衆、国民、言語」のことであると言います。
大淫婦すなわち大バビロンが、世界中に影響力を及ぼすことがわかります。それは「国」という単位ではありません。一つの国の中には「異なる言語」を話す様々な民族、部族がいます。大バビロンは、世界の隅々にまで影響力を及ぼします。
獣は、この影響力が欲しいのだと思います。彼女の影響力を最大限に利用したいと考えるのでしょう。
大淫婦である大バビロンが持つ影響力とは「政治的なもの」ではないでしょう。おそらく「宗教的なもの」だろうと思いいます。
主は、バビロンのことを「偶像に狂っている」と言われます。
バビロンは「偶像礼拝」について裁かれて滅びるのです。
終わりの時、大バビロンは「偶像に狂った地」となるでしょう。そこには「見せかけの敬虔」があふれます。大バビロンの影響力によって、全世界が「主なる神」に背くことになるでしょう。おそらく「そんなつもりはなかった」と彼女たちは言うだろうと思いますが。反キリストにとっては、自分を拝ませるための「とてもよい下地」が手に入るということです。
反キリストと権威を委ねた王たちは、初めは「大淫婦」と一つですが、そのうち「彼女を憎む」ようになります。そして、ついには滅ぼしてしまいます。
このことから「サタンの国は分裂している」「悪霊どもには一致がない」などと言われますが、それは間違っています。
サタンの王国が分裂していないことは、エペソ6章を読めば分かります。
日本語では分かりにくいですが、原語では「支配」「力」「支配者たち」とは「階級」を表わす言葉が使われています。これは、サタンの国の組織図なのです。
サタンは、天の御使いの三分の一を引き連れて堕落しました。そのとき、秩序だった神のシステムをそのまま盗んでいったと思われます。サタンの国が「分裂」だらけであれば、もうとっくに崩壊しているでしょう。
これは、私の個人的な意見ですが…
大淫婦と緋色の獣は、もともと「仲間」ではなかったのだと思います。
彼らのうちには「仲間意識」などなかったでしょう。大淫婦は、自分こそが「獣を支配している」と考えるだろうと思います。そして、獣の方は「利用してやろう」と考えるでしょう。獣の背後にいるサタンは、最初から「大淫婦」を食い尽くすつもりだろうと思います。
これは、警告であると私は思います。
サタンは、大バビロンを食い尽くし焼き尽くします。
十本の角と獣は、サタンの思惑の通りに彼女を裏切り滅ぼしてしまうでしょう。
サタンの国は分裂しませんが、人間の国は分裂します。
この最後の世界帝国は「鉄と粘土の国」ですから、まあ、混じり合わないでしょう。
しかし、神のことばが成る時まで、主ご自身が彼らに「一つ心」を与えられます。
黙示録10章の時点で御使いは宣言していました。
第七のラッパが吹かれたら「七つの鉢のわざわい」が実行されます。
そして、もうすでに「第七のラッパ」は吹き鳴らされ「第七の御使いが鉢の中身を空中に注いだ」という箇所まで、私たちは読み進めてきました。
今、大バビロンが滅びます。
主は、一つ一つ着実に事を成就しておられます。旧約の預言者たちが語ったことは一つ残らず成就するのです。イエス様が地上で語られたことは、一つも空しく地に落ちることはありません。
「神のことばは成る」のです。
黙示録が教えているのは、実にそのことであると私は思います。神のことばは「創世記」から「黙示録」に至るまで完全に実現します。
獣の帝国が「恐ろしくて不気味で非常に強く」ても…
大バビロンが全世界に影響を及ぼしても…
サタンが世界をどれほど混乱させようとも…
歴史を握っておられるのは、私たちの主なる神なのです。
悪がその力を最大限に発揮し、暗闇が地を覆い、どこにも光がないように見えても…
大患難時代と呼ばれる苦難の中にあっても…
神の計画は寸分の狂いもなく成就されます。神の計画は揺るぐことがありません。
私たちは「神のことばは成る」ということを黙示録を通して知るのです。
私たちは、悪の勝利、暗闇の蔓延に怯えてはなりません。獣が聖徒たちを打ち負かすように見えてもひるんではなりません。
覚えてください。主のことばは必ず成るのです。
私たちは、黙示録によって「神のことばの真実であること」を心に刻み付けるのです。
悪者は、自分の思うままに動いているつもるでしょう。大バビロンを「滅ぼしてやった」と思うでしょう。
しかし、それすらも、私たちの神の御手の中にあることなのです。
ですから、愛する兄弟姉妹
「もうだめだ」と言ってはなりません。
「希望がない」と言ってはいけません。
あなたは、決して「失望に終わる」ことはないのです。
聖書が「失望させられることがない」と言っているのです。あなたは「失望しない」のです。
私たちは「神のことば」に信頼しましょう。「神のことば」は必ず成るのです。
目の前の出来事が「それは無理だ」と告げていても…
敵が「常識的に考えてみろ」とささやいてきても…
あなたの感情が「できるわけがない」と叫んでも…
神のことばを信じなさい。神のことばの真実を告白しなさい。
私たちは、いのちのことばである方を信じて歩む者です。見えるところではなく信仰によって歩む者です。
決して退かず、信じていのちを保つ者です。
シャロームを祈ります。

