ヨシュア7:13
立て。民を聖別せよ。そしてこう言え。「あなたがたは明日のために自らを聖別しなさい。イスラエルの神、主がこう告げられるからだ。『イスラエルよ、あなたがたの中に聖絶の物がある。あなたがたがその聖絶の物を、あなたがたの中から取り除くまでは、敵の前に立つことができない。
突破口は内側にあります
イスラエルは、敗北してしまったのです。
エリコの城壁は奇跡的な方法で崩れ落ちました。しかし、イスラエルは、アイの民の前からは逃げ出すはめになったのです。
打ちひしがれてひれ伏すヨシュアたちに、主は言われます。
つまり、敗北を嘆いて「ひれ伏して」いる場合ではないと言われたのです。
私たちは、何かに失敗したとき、たいていの場合、ヨシュアのような態度を取るだろうと思います。
「ああ、主よ、なぜ、このようなことになったのですか」と嘆いたり、「主よ、私たちはなぜ、敗北してしまったのでしょう」と理由を探したりします。
そして「ひれ伏して」御前に嘆き続けることが「謙遜」な姿であると勘違いしてしまうのです。
主は、ヨシュアたちに「立て」と命じられました。
ヨシュアは「敗北」に目を留めていましたが、主は「聖絶の物」に目を留めておられました。
ヨシュアは「なぜ敗北したのだろう」と嘆きましたが、主は「なぜ聖絶の物があるのか」と問うておられるのです。
敗北の原因は「方法」にはありません。
なぜ、敗北したのか…
なぜ、同じ失敗を何度も繰り返すのか…
なぜ、いつも同じような結末に終わるのだろう…
私たちは、自分の行いを反省して「もう二度と同じことはしない」と決意します。
しかし、それでも「また」同じように敗北を味わいます。場所や環境を変えても、違う方法を試しても、結果は同じなのです。
人生がまるで巨大迷路のように思えます。同じ所をグルグルと回っているような気がします。突破口はいったいどこにあるのでしょう。
覚えてください。
突破口は、常に「あなたの中にある」のです。
主は、アカンが「原因」であることを知っておられました。しかし、それをすぐにはヨシュアに告げられませんでした。
部族ごと氏族ごと家族ごとに取り分けられ、そして、最終的に個人を取り分けられたのです。
プロセスが必要です。短気になってはなりません。
目の前の「結果」に目を留めて嘆くのはやめなさい。主の御前にひれ伏し「なぜですか、主よ」と言い続けるのもやめなさい。
立ち上がって、両手を広げ言いなさい。
「主よ、私を探ってください。私の中に聖絶の物があるかを明らかにしてください」と。
外側の物をいくら変えてもダメなのです。あなたの表面にあらわれる「反応」に対処してもダメなのです。
あなたの「恐れ」の原因を取り除かねばなりません。
あなたの「不満」の原因を…
あなたの「不従順」の原因を…
あなたのうちの「世にあるもの」を…
主が示されるものを「取り除いてくださるように」と願いなさい・
主が明らかにされるプロセスに怯えてはなりません。主にすべてを委ねなさい。
突破口は、その先にあるのです。
主よ、私を探ってください
主よ、私のうちに傷のついた道があるかないか調べてください
主よ、あなたにすべてを委ねます

