【黙示録18章7節~11節】七つの頭の秘められた意味

再臨を待つ

黙示録17:7
すると、御使いは私に言った。「なぜ驚くのですか。私は、この女の秘められた意味と、この女を乗せている、七つの頭と十本の角を持つ獣の秘められた意味を、あなたに話しましょう。」

底知れぬ所から上って来ます

さて、前回は大淫婦の秘められた名前について学びました。

今回は、その女が乗っている「獣」について学びましょう。

黙示録17:7
すると、御使いは私に言った。「なぜ驚くのですか。私は、この女の秘められた意味と、この女を乗せている、七つの頭と十本の角を持つ獣の秘められた意味を、あなたに話しましょう。」

使徒ヨハネは「この女を見て、非常に驚いた」のです。

なぜ、驚いたのかはわかりません。大淫婦と呼ばれる女が、あまりにも醜悪だったからかもしれません。もしかすると、この女性は「ヨハネが知っている人」に似ていたのかもしれません。

ヨハネは「非常に驚き」ますが、御使いは「なぜ驚くのですか」と言っています。御使いにとっては、特に驚くようなことではなかったのでしょう。この会話は興味深いですね。けれど、今は先に進みましょう。

御使いは「この女の秘められた意味と、この女を乗せている、七つの頭と十本の角を持つ獣の秘められた意味を、あなたに話しましょう」と言います。

そして、まず「獣」について語りだします。

黙示録17:8
あなたが見た獣は、昔はいたが、今はいません。やがて底知れぬ所から上って来ますが、滅びることになります。地に住む者たちで、世界の基が据えられたときからいのちの書に名が書き記されていない者たちは、その獣が昔はいたが今はおらず、やがて現れるのを見て驚くでしょう。

さて、御使いが話しているのは「七つの頭と十本の角を持つ獣」であるということを覚えていてください。

この獣は「黙示録13章の獣」のことです。

黙示録13:1
また私は、海から一頭の獣が上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。その角には十の王冠があり、その頭には神を冒涜する様々な名があった。

この獣は「反キリスト」です。彼は「海」つまり「世界」から現れます。

しかし、同時に、この獣は「底知れぬ所から上って来る」のです。これは明らかに悪魔的なことです。獣と悪魔の間には深いつながりがあります。ある人は「反キリスト」は受肉したサタンだと言います。それは、実際にどうかは分かりませんが、そう言われるほど関係が深いのは確かです。

「獣」の背後には確実にサタンがいます。この獣は「悪魔的な力」を帯びた獣です。終わりの日の独裁者は悪魔と心を一つにし、悪魔の思いを行うのです。彼は「底知れぬ所から」の力によって事を行ないます。

しかし、必ず「滅び」ます。

「今」つまり使徒ヨハネの時代には、この獣はいませんでした。昔はいたけれど今はいないのです。

この獣は「やがて」つまり「終わりの時代」に現れます。人々は、この獣を見て驚くのです。

七つの山とはローマです

さて、御使いは続けて言います。

黙示録17:9~10
ここに知恵のある考え方が必要です。七つの頭とは、この女が座している七つの山です。それは七人の王たちのことで、五人はすでに倒れましたが、一人は今いて、もう一人はまだ来ていません。彼が来れば、しばらくとどまるはずです。

もうすでに頭が混乱してきますね。御使いはいったい何を言っているのでしょうか。

まず思い出しましょう。

この女とは「大バビロン」のことです。そして、これは「大きな都」のことだと聖書は言っています。

黙示録17:18
あなたが見たあの女は、地の王たちを支配する大きな都のことです。

この都は「獣の七つの頭」に座しているのです。そして、この「七つの頭」とは「七つの山」のことだと御使いは言います。

と言うことは「七つの山」は「地理的な場所」もしくは「象徴としての場所」を表わしているのだろうと推測できます。

そして、それはまた「七人の王」たちのことでもあると御使いは言っています。

つまり「七つの山」には「二つの意味」があると考えてよいでしょう。「女が座っている場所」と「七人の王」です。

まず「女が座っている場所」としての「七つの山」について考えてみましょう。

使徒ヨハネの時代「七つの山」と言えば、ほぼすべての人が「ローマのことだ」と分かりました。

今では「ローマの七丘」と呼ばれますが、古代では「七つの山」と表現されることが多かったのです。

1世紀の詩人オウィディウスもローマのことを「七つの山から世界を見下ろす街」などと表現しています。彼はラテン語で詩を書きましたから「セプテム(7つ)モンテブス(山々から)」と記しています。

つまり、当時はだれでも「七つの山」と言えば「ローマ」を思い浮かべたのです。

この解釈には、ほぼ異論はないでしょう。

「大バビロン」と呼ばれる都は「ローマ」にあると考えてよいと思います。「大淫婦」は「ローマ」から「地の王たちを支配する」のです。

ただ、このローマが「地理的な場所」を表わすのか「霊的な象徴」なのかは分かりません。

黙示録はエルサレムのことを「霊的な理解ではソドムやエジプト」と呼んでいますから、この「七つの山」も「霊的な象徴」なのかもしれません。

個人的には「地理的な場所」を示していると考えますが、定かではありませんね。

七人の王:ローマ皇帝説

では、七人の王について考えてみましょう。

「獣」の「七つの頭」は「七人の王」を表します。この王たちが誰なのかについては諸説あります。

しかし、その中で最も多い意見は「二つ」です。

歴代ローマ皇帝説と世界帝国説です。

黙示録17:9~10
ここに知恵のある考え方が必要です。七つの頭とは、この女が座している七つの山です。それは七人の王たちのことで、五人はすでに倒れましたが、一人は今いて、もう一人はまだ来ていません。彼が来れば、しばらくとどまるはずです。

これは「七つの山」である「七人の王」ですから、ローマを治める七人の王だと考えるのが自然な流れですよね。まずは、その線に従って考えてみましょう。

ローマ皇帝説は、どの皇帝から数えるか、誰を省くかによって様々な説があります。

「五人はすでに倒れた」とは、五人の王は死んでしまって過去の人である、という意味です。「ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません」と言われている「ほかのひとり」が次の王になるのでしょう。すると、七人の王たちを歴史に照らして特定することができます。イエス様がお生まれになった時の皇帝はアウグストです。次の王テベリオの治世に、イエス様が伝道を開始されました。その後、カリグラ、クラウディオ、そしてネロと皇帝が立てられます。「すでに倒れた」と言われるのはこの五人です。そして「今おる」と言われるのが、六番目の皇帝でペスバシアヌスと言います。「まだ来ていません」が、やがて王になると言われているのがテトスです。「しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです」とコメントされていますが、テトスの在位期間は短く二年間でしたから、よくあてはまります。
ヨハネの黙示録講解 村瀬俊夫著 いのちのことば社

これは皇帝説の中では、なかなか辻褄の合う説だなぁと思っています。

使徒ヨハネの時代の皇帝は「ドミティアヌス」であったとも言われるので、絶対に正しいとは言えませんが、他のローマ皇帝説の解釈に比べると分かりやすいかなぁと思います。

しかし黙示録の執筆時期に関わる問題が関わって来るので、まあ何とも言い難いですね。

この説のほかに「ジュリアス・シーザー」から数える説もあります。ドミティアヌス帝を「今いる一人」とする説もあります。まったく説が多すぎてよく分かりませんね。

それにカタカナの名前がいっぱい出てきて頭が痛くなりますしね(笑)

黙示録17:11
また、昔はいたが今はいないあの獣は八番目の王ですが、七人のうちの一人でもあり、滅びることになります。

さて、またよく分からない謎が増えましたね。

「七つの頭は七人の王」と言ったそばから「8番目の王」が出現するのです。

しかし、この「8番目の王」は全く別の路線からひょっこりと現れるわけではなさそうです。

「8番目の王」は「七人のうちの一人」だと言われています。

もちろん、人間が復活するわけはないので「七人の王」のうちの一人の性質を受け継ぐ者ということでしょう。

ローマの皇帝の中で、この描写に一番該当するのはネロです。ヘブル語で彼の名前を合計すると、六百六十六で、この狂人はその時代のクリスチャンには、獣として知られていました。彼の人生を見ると、彼は全くの狂人か、悪霊に取り憑かれていたかのどちらかだとしか言えません。~中略~

ネロ帝をとりこにした悪霊は、反キリストにも同様にするでしょう。
黙示録の封印を解く チャック・スミス プリズム社

このローマ皇帝説は、黙示録の聖句との辻褄を合わせることはできそうですね。

けれど、年代のことなど疑問点も残ります。

七人の王:世界帝国説

さて、もう一つ主流の説があります。

「七つの頭と十本の角」は十三章にも出てきました。そこでも申し上げましたが、七つの頭は、おそらく、エジプトに始まる七つの世界帝国を示しているのでしょう。すなわち、エジプト、アッシリヤ、バビロン、メデイア・ペルシャ、ギリシャ、ローマ、そして復興するローマ(大バビロン)の七つの帝国です。~中略~

「五人はすでに倒れた」とは、エジプト、アッシリヤ、バビロン、メデイア・ペルシャ、ギリシャという五つの帝国がすでに滅びたということです。「一人は今おり」とは、キリスト時代のローマ帝国のことを、「ほかのひとりはまだ来ていません」とは、やがて復興するローマ帝国のことを言っています。
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「七人の王」とは「七つの世界帝国」とするという説です。

実は、私は個人的には「世界帝国説」の立場なのです。けれど、この説に多くの疑問点があることは承知しています。

まず、なぜ「世界帝国」なのかという根拠が曖昧です。

「大淫婦」が「ローマ」に座っていることは確実なのに、どうして「七人の王」を世界帝国とするのかというのは当然の疑問です。自然に考えれば「ローマの皇帝」とした方がいいような気がしますね。

個人的な見解ですが、私はこのように考えます。

この「大淫婦」が「大バビロン」であるということに注目します。

「大バビロン」は、前回に学びましたが古代から「全世界に影響を与えて来た王国」です。

もともとサタンは「バビロン」に本拠地を置いていたのではないかと私は思います。そして、本拠地は「その時代」によって変わっていくのではないかと推測します。ある時期には「ペルガモ」にあったのではないでしょうか。

そして、最終的に反キリストとともに本拠地を「ローマ」とするのでしょう。それが「地理的な場所」なのか「霊的な象徴」なのかは分かりませんが、歴代の「世界帝国」を引き継いで、最終的に「復興ローマ」となるのではないかと思うのです。

もう一つの疑問は、なぜ「エジプト」にまでさかのぼるのかということですね。

ダニエル書によると「世界帝国」は「バビロン」から数えられているように思います。

  1. 金の頭のバビロン
  2. 銀の胸のメド・ペルシャ
  3. 青銅の腹ともものギリシャ
  4. 鉄のすねと足のローマ

ダニエルが解き明かしたネブカドネツァルの夢によればそうなります。エジプトとアッシリヤはどこから来た?と疑問に思いますよね。実際に私も、世界帝国説を推しつつ、そこが一番引っかかるところでした。

わざわざ「エジプト」と「アッシリヤ」を持ち出さずとも「七人の王」を導き出せない者だろうかと思っていたのです。

その疑問を完全に解決できるかは分かりませんが、世界帝国説には「エジプト」と「アッシリヤ」を加えない説もあるのです。

ダニエル七章を読みますと四頭の獣が出てきます。

  1. 獅子:バビロン(頭一つ)
  2. 熊:メド・ペルシャ(頭一つ)
  3. 豹:ギリシャ(頭4つ)
  4. 不気味な獣:ローマ(頭一つ)

ダニエルが見た「獣」は四頭でした。それぞれ「世界帝国」を表します。

頭の数を数えてみてください。

獅子・熊・不気味な獣の「頭」の数は特に何も記されていませんから「一つ」なのでしょう。

けれど、ギリシャを表わす「豹」だけは「頭が四つ」だとわざわざ記されています。

ダニエル7:6
その後、見ていると、なんと、豹のような別の獣が現れた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。

獣たちの「頭」を合計すると「七つの頭」となるということです。

私も、この説を知ったときには「これやん」と思いましたが…

でもそうなると「一人は今いて」という「六番目の王」が「ギリシャの頭の一つ」になってしまいますね。

ヨハネの時代の「今いる王」は「ローマ」でなければ辻褄が合わないのです。

さて、このダニエルの四頭の獣説を推す学者さんたちが、この矛盾をどう解決しているかと言うと…

六番目:今いるひとり
患難時代の初期に現れる復興ローマ帝国とする。
ヨハネの生きている時代を「今」とするのではなく、ヨハネの見ている時代を「今」とする解釈

七番目:まだ来ていないが来ればしばらくとどまる王
世界統一王国とする。
獣と呼ばれる反キリストを含む複数のリーダーによる支配
しかし、その政府は短命(三年半ほど)
「しばらく」ということばに当てはまる

八番目:七人のうちのひとりでもある
反キリストの独裁国家とする
世界政府のリーダーの一人であった反キリストは「七番目の中から現れる8番目」であると解釈する

なかなか面白いと思いますね。問題は、黙示録が言っている「今いるひとり」の「今」の解釈ですよね。

まあ、こればかりは、残念ながら正解が何か今のところはわかりませんね(笑)

つまり、私も個人的には矛盾を感じつつ、それでもなお「世界帝国説」なのではないかなぁと思っているわけです。そして、まだまだ勉強中なので、ころっと意見を変えて、しれっと「皇帝説」に乗りかえているということもありえますね(笑)

何が正しい意見なのかは分かりませんが、確実なことは…

「七つの山」は必ず滅びるということです。

終わりの日に、どのような王が君臨しようと、どのような国が支配しようとも、それらは必ず滅びるのです。

ダニエル2:45
それは、一つの石が人手によらずに切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのを、あなたがご覧になったとおりです。大いなる神が、これから後に起こることを王に告げられたのです。その夢は正夢で、その意味も確かです。

「人手によらずに切り出された石」とは、もちろん「主イエス」のことです。

すべては、主イエスによって完全に砕かれます。

どんなに権勢を誇っていても、どんなに富んでいても、人々を支配し恐れられても、主イエスが来られるならば「一瞬」で砕け散るのです。

ですから、どんな人間を恐れてはなりません。誇ってもなりません。サタンであっても、必要以上に恐れる必要はないのです。

屠られた子羊は、すでに勝利を得ておられます。私たちは、この方にあって圧倒的な勝利者です。

主をほめたたえましょう。子羊イエスに栄光がありますように。

知恵のある考え方が必要です

さて、ここまでいろいろ見てきましたが、絶対的に正しいと思える答えは見つけられませんでしたね。

あなたは、どう考えますか?

私たちは、これからもあきらめずに探求を続けましょう。

この箇所については、他にも様々な意見があるのです。

しかし、意見が異なることは「対立する理由」にはなりません。

もちろん「神の御子に関する知識」についての相違点は見過ごすことはできません。

例えば…

イエス様は神様ではないとか、十字架だけでは救われないとか、血潮には意味がないとか、形だけなら偶像を拝んでもよいなどと言うならば、そのような人とは一緒に歩むことはできません。

しかし、福音に関係しない意見が「少し違う」からと言って「異端」と決めつけるのは間違っていると思うのです。

私たちは、聖霊の満たしを求めましょう。

聖霊が「心の目をはっきりと見える」ようにしてくださいます。

すべてのことを「啓示してくださる方」とともに聖書を学びましょう。

次回は「知恵のある考え方」について学びたいと思います。

今回と同じ聖書箇所を学ぶことになりますが、内容は変わります。

「知恵のある考え方」とは何なのかを一緒に考えましょう。

黙示録を理解するのには「知恵のある考え方」が不可欠なのです。

シャロームを祈ります。