ヤコブ1:19
私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。
まずは聞くことです
最近、私は足の痛みとともに目覚めます。
足が痛いから目が覚めるのか、目が覚めた瞬間から痛みを感じるのか…
まあ、どちらでもいいのですが、とにかく、朝起きた瞬間に「不平不満」が心にあるのが分かります。
「なぜ、こんなことになったのか」
「なぜ、祈っても癒されないのか」
「主よ、あなたがみことばを服用せよと言われたから、宣言しているのに痛いままですよ」
などと、朝一番から「怒って」いる自分を発見するわけです。
これでは、ヤコブの言っていることと全く逆ですね。
みことばは「聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅く」せよと言っています。
聖書が言う「聞く」とは、ただ「情報を得ること」の意味ではありません。それは「従う」ことを含みます。
聖書が「聞く」と言う時、それは「聞き従う」ことを意味するのです。
そして「早く」とは「素早い行動」の意味です。
つまり「聞くのに早く」とは「聞き従う姿勢を素早く持て」ということです。
「語るのに遅く」とは、自分の意見を述べることを早まるなということです。私は、朝起きて、まず「自己主張」をしたわけです。つまり、主の御声を聞く前に「自分の状況」を訴えたのです。
「怒るのに遅く」とは、自分で性急な判断をするなということです。すべてのことを働かせて益としてくださる方がおられるのです。目の前のことがすべてではないのです。しかし、そうであるにも関わらず、私は目覚めた瞬間から「怒り」を発しているのです。
「人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい」
「人はだれでも」です。例外はありません。
「人はだれでも」聞き従う姿勢を素早く持ち、自己主張をすることを控え、早急な判断を下してはならないのです。
ある伝道者は、毎晩「主よ、明日の朝の歌をください」と祈ると言います。
そうすると、朝、目覚めたとき、心の中に賛美が流れているのだそうです。
聖霊が与えてくださる賛美とともに目覚めることは、何とも幸いだと思いませんか?
彼は、その与えられた賛美によって、導きに対する示唆を得たり、するべきことを示されたりすると言います。
愛する兄弟姉妹。
朝一番、目覚めたその時から、主の御声に耳を傾けましょう。
「主よ、聞き従う準備はできています。どうかお語りください」と言える人は幸いです。
「私の思いではなく、主のみこころがなりますように」と祈れる人は幸いです。
いつも「素直にみことば」を受け入れることのできる人は幸いです。
まずは「聞くに早い」ことです。
サムエルのようにひざまずき「主よ、お語りください。しもべは聞いております」と言いましょう。
ダビデのように「朝にあなたの恵みを聞かせてください」と祈りましょう。
最も大切なことは「聞き従うに素早い態度」です。
まず「聞く」ならば、必然的に「語ること」と「怒ること」は遅くなるでしょう。
主よ、私は聞き従います
毎朝、まず、あなたに聞くことをさせてください
聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅い者としてください

