ヘブル10:8
ですからキリストは、この世界に来てこう言われました。「あなたはいけにえやささげ物をお求めにならないで、わたしに、からだを備えてくださいました。
御父は、御子にからだを備えられました
イエス様は、この地におられるとき「一つのことだけ」を行われました。
イエス様は「御父」の御心を行うために来られました。
父なる神は、御子に「からだ」を備えられました。それは、全焼のささげ物やきよめのささげ物を喜ぶことがお出来にならなかったからです。
主は「もう、むなしいささげ物を携えて来るな」と言われました。なぜなら「耐えられない」からです。
悔い改めの伴わない罪のためのいけにえ、主の御心を軽んじたまま行われる例祭、聖さを追い求めないきよめの集会、形式だけで心の伴わない礼拝に、主は「耐えられない」と言われるのです。
イエス様が来られたのは、形だけでない「全身全霊」を伴う信仰を全うされるためです。イエス様は信仰を始められ完成されたのです。
イエス様は「からだ」を献げられました。それが御父の御心だったからです。
主が求めておられるのは「形式」ではないのです。「物と事」でもありません。
主が求めておられるのは「あなた自身」です。
主は、献げ物では満足されません。あなたのすべてを求めておられます。御子の血潮を注ぎかけられた「あなた」を望んでおられるのです。
愛する兄弟姉妹。
心を込めて生きましょう。私も、そうしたいと願います。
一生懸命に生きましょう。主が造ってくださった一日を精一杯に生きましょう。
心の伴う生き方をしましょう。心を込めて、主を愛しましょう。真心から互いに愛し合いましょう。
何かをするためではなく、何かを得るためでもなく、ただ「神のみこころ」のために生きましょう。
損か得か、効率的か非効率か、そのようなことを言い訳にせず、ただ「みこころ」のために生きましょう。
この世の「損得」など、どうでもいいではありませんか。誰に何と思われるかも、もうどうでもいいでしょう。
イエス様が精一杯に「みこころ」のために生きられたのですから、私たちもそのように生きるのです。
主イエスが、からだを献げられたのです。ですから、私も、自分を生きた供え物とするのです。
主よ、私に身体を備えてくださり感謝します
私も生きた供え物となります
私は、精一杯に生きます

