No.633 耕し、守るためにおかれたのです その①

小さな農夫

創世記2:15
神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。

耕すために置かれました

神である主は、人をわざわざ「エデンの園」に置かれたのです。

地上は広大でした。陸地は、アダムひとりには広すぎるほどでした。

主は、その広い大地から「エデン」を選ばれ、そこにわざわざアダムを置かれたのです。

G・Kビールなど神殿神学を研究している学者さんたちは言います。

「エデンの園は最初の聖所であり、アダムは神の臨在の庭を不聖なものから守る門番・祭司だった」と。

エデンにおけるアダムの役割は「耕す」ことと「守る」ことです。

「耕す」とは「働く」「仕える」などと訳すこともできます。聖書の他の個所では「仕える」ことは「礼拝」を表します。

つまり、主は、アダムを「礼拝」するようにとエデンに置かれたと解釈することも可能です。

人は「耕す」ために「働く」ためにエデンに置かれたのです。

エデンにおいて、人は「耕す」ことをしなくても「食料」を手に入れることができました。もっと言えば「生きるために食べる」必要はなかったのです。

しかし、主は「耕す」ことを人の使命とされました。なぜなら、それは「礼拝」であったからです。

アダムは「エデン」という「聖所」で、日々、礼拝していました。主が命じられたとおり「耕す」ことは、主に「仕える」ことです。そして、それが「礼拝」なのです。

「礼拝」は、人が「霊」であるという証拠です。アダムは、他の生き物たちとは違いました。他の生き物は「礼拝」しません。土地を「耕し」て、主に「仕え」ません。

あなたは、礼拝者ですか?

私たちは、エデンの園に置かれてはいません。聖所で仕えてもいません。

しかし、あなたのうちには聖霊がおられます。あなたは聖霊の宮なのです。

主は、あなたを素晴らしい場所に置いておられないかもしれません。

もしかすると、あなたは「息苦しい場所」に置かれているかもしれません。「礼拝する気持ちになれない場所」で働いているのかもしれません。

私は、あなたが「その場所」に留まるべきだとも逃げ出すべきだとも思いません。

ただ、一つだけ確かなことは、あなたは「聖所」に置かれたのではなく、「聖所」があなたの中に置かれたのだと言うことです。エデンは、あなたの中にあるのです。

現代の聖徒はみな、旧約の聖徒よりも幸いです。私たちはみな、外側の状況に関わらず、主に仕えることができるからです。

どこにいても何をしていても、あなたは「主に仕える」ことができるのです。

アダムがエデンに置かれたのは「耕す」ためです。

あなたのうちに「聖所」が置かれたのも同じ理由です。あなたはうちにあるエデンを耕す必要があります。

どんなときでも「霊」であることを証明しなさい。つまり、どんな時でも「礼拝」するのです。どんな時でも「主に仕える」のです。

聖徒の最も重要な使命は、どんなときでも、どこにいても「主を礼拝すること」です。

あなたが真心から「主に仕える」ようにすべてを行うなら、それが「礼拝」となります。

あなたのうちに聖所が置かれたのは、あなたが「耕す」ためです。主に「仕え」「礼拝」するためなのです。

私は、主を礼拝します
どこにいても礼拝します
何をしていても、それが礼拝となることを信じます