No.74 麦と毒麦は世の終わりまで混在します

田舎の写真

【マタイ13:25~26】
ところが人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて立ち去った。麦が芽を出し実ったとき、毒麦も現れた。

敵が毒麦の種を蒔きました

毒麦とは、原語では「ジザニア」です。和名は「ドクムギ」です。イネ科の小麦に随伴する植物です。

余談ですが、それ自体に毒性はありません。穂が菌に寄生され、その菌が毒を作り出します。なんとなく、サタンがしそうなことだと思えます。

さて、しもべたちは言います。「私たちが行って、毒麦を抜き集めましょうか」と。

しかし、主人は言います。

マタイ13:29~30
しかし、主人は言った。「いや、毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない。だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。」

「両方とも育つままにしておきなさい」と主人は言いました。その理由は、「麦も一緒に抜き取るかもしれない」からです。つまり、「良い麦」のために「両方とも」そのままにして置かれるのです。

世の終わりまで、麦と毒麦は混在します。

不可解なこと、理解できないことは、世の終わりまで続きます。この世においては、すべてを理解することはできないでしょう。

しかし、主にお任せしましょう。主は、ご自身のなさっていることをよくご存じなのですから。毒麦をあえて抜かずにおかれるのは「麦」が抜かれないためだと言われるのです。

毒麦が、世にはびこっているのを見ても恐れることはありません。毒麦は、増え広がるかもしれませんが抜こうとしてはいけません。

刈入れは、御使いの役目です。世の終わりに、麦を刈るのは御使いです。御使いが麦と毒麦を分けます。毒麦は、焼かれます。麦は、倉に納められます。決して間違いはありません。

毒麦は芽を出した時は、小麦にそっくりです。けれど成長して穂が出れば、違いは一目瞭然です。誰にでも見分けがつきます。

黙示録22:11
不正を行う者には、ますます不正を行わせ、汚れた者は、ますます汚れた者とならせなさい。正しい者には、ますます正しいことを行わせ、聖なる者は、ますます聖なる者とならせなさい。

世の終わりが近づくにつれ、麦と毒麦の違いは、ますます明らかになるでしょう。敵が毒麦の種を蒔いたことが、ありありと分かるようになります。

私たちが求めるべきことは「抜き取る」ことではありません。毒に感染しないことです。

ヘブル12:14
すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることはできません。

聖さを追い求めましょう。ますます聖なる者とされましょう。主を見ることを切に求めましょう。何を求めているかで生き方は変わります。

主は、正しい者には、ますます正しいことを行わせてくださいます。そして、聖なる者は、ますます聖なる者とならせてくださいます。

麦と毒麦の違いは必ず明らかにされます。

私は聖さを追い求めます。
ますます聖なる者とされますように。
世と同化せず、主を切に求めます。