ローマ8:1
こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
罪に定められることはないのです
これは「約束」ではありません。
「こうなるだろう」ということではないのです。
「今」すでに「そうだ」という事実が記されているのです。
パウロは、ここで「法廷用語」を使っています。
「罪に定められることがない」とは「有罪の判決を下されることはない」という意味です。
それも「決してない」のです。この「決してない」は「例外を全く認めない」という意味を含みます。
あなたは「絶対に有罪にならない」のです。
あなたは「決して罪人と呼ばれることはない」のです。
素晴らしい聖歌にケチをつけるつもりはないのですが「救いを受けた罪人」など存在しないのです。
「キリスト・イエスにある者」は、みな「有罪の宣告を受けない」のですから「罪人」ではありません。
自分のことを「罪人」だと思うのはやめなさい。
努力して「聖徒であろう」とするのはやめなさい。それは「努力」では得られません。
あなたは「聖く生きようと努力している罪人」ではないのです。
あなたは「時々、間違いを犯してしまうかもしれない聖徒」なのです。
これは「大きな差」です。
罪人は、どれだけ努力して善人だと呼ばれたとしても「罪人」です。
聖徒は、もしかすると間違いを犯してしまうかもしれないけれど、どんなときでも「聖徒」です。
サタンは、あなたを「罪人」にしておきたいのです。ゆえに過去に縛り付けておこうとするのです。
「あんなことをしておいて、よく用いてもらえると思えるな」などと言って来るのです。それも「一人称」を使ってささやくのです。つまり「私の思い」のようにささやきます。
「聖徒」という立場に「何らかの行い」をからませてくるものは「すべてサタンから」のささやきです。
敵は、あなたを「振り返らせたい」のです。「鋤に手をかけて、うしろを見る者」にしたいのです。
聞こえてくるささやきを打ち砕きなさい。イエスの御名によって立ち向かうのです。
「主の良くしてくださったこと」を忘れないことは大切です。私たちは、救われたことを大いに誇りましょう。
しかし、もし「過去を見つめて」前に進むことができないのであれば、振り返る必要など「これっぽっち」もないのです。
最も大切なことは「今」あなたが「キリストのうち」にいることです。
そして「キリストのうち」にあるならば、あなたは決して「罪に定められる」ことはありません。
主は、あなたを喜んで用いられます。
あなたは「主の喜び」です。
「キリストのうちにある」と日々告白して歩みましょう。
「イエスの血」は、今日も有効です。
私は「絶対に有罪の判決をくだされる」ことはないのです。
私はキリスト・イエスのうちにあります
私は決して罪に定められません
主は、私を喜んでおられます

