2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

NO.610 どんなことでもできるのです その②

昼も夜も黙り込まない

ピリピ4:13
私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。

どんなことでもできます

「私はどんなことでもできる」とパウロは言います。

うちにおられる聖霊によって、私たちも「どんなことでもできる」のです。

ここで使用されている「できる」という言葉には複数の意味がありますが、ここでは「強いという状態」を表しています。

マタイ9:12
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。

ここで使われている「丈夫な」という語が、ピリピ書で「できる」と訳されているのと同じ語です。

イエス様は「持ちこたえる強さのある者に医者はいらない」と言われているわけですね。なんとなく言葉の持つニュアンスが伝わるでしょうか。

つまりパウロは「私は、どんな境遇にあっても持ちこたえる強さがある」と言っているのです。

ピリピ4:12
私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

パウロは「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣」を持っていると言います。

そして、その秘訣とは「強くしてくださる方」により頼むことなのです。

パウロが「どんなときにも持ちこたえる強さ」があると言い切れるのは、聖霊様と一緒に歩んできた経験が大きいと私は思います。

パウロは何度も苦難にあいました。むちで打たれ、石を投げられ、難破し海上を漂い、死を覚悟したこともありました。

Ⅱコリント1:9
実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。それは、私たちが自分自身には頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼るためだったのです。

パウロは「死を覚悟する」ほどの苦難にあいました。

しかし、それは「自分自身に頼らず、神に頼る者となる」ためでした。

パウロは「どんな境遇にあっても、持ちこたえることのできる力」が、自分自身から出るのではないことを学びました。それは「パウロの内から」湧きあがりますが、彼自身の力ではありません。

同じように「どんな境遇においても持ちこたえる力」が、あなたのうちにもあります。そして、その力は「あなた自身」のものではありません。

あなたの境遇がどんなものであっても…

病にあっても、悲しみにあっても、失意や裏切りや貧しさのなかにあっても、あなたはすでに「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣」をうちに持っているのです。

聖霊に満たされなさい。聖霊を認めなさい。聖霊に依り頼みなさい。

そうすれば「どんなことでも」できます。どんな境遇でも持ちこたえることができます。

私を強くしてくださる方によってどんなことでもできます
私のうちには御霊が住んでおられます
私は聖霊様と一緒に歩んでいます