創世記5:22
エノクはメトシェラを生んでから、三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。
それは日常的なことだったのです
主は、エデンの園で「人」と親しく歩いておられました。
この時には、主とアダムの関係はすでに壊れていましたが、それ以前は「親密にともに」園を歩き回っていたのだろうなと想像できます。
愛する兄弟姉妹。
エデンの園における「神と人」との麗しい親密な関係に憧れませんか?
「ああ、麗しい園で、主と親しく歩くアダムとエバがうらやましい」とは思いませんか?
しかし、同時に、私たちは思います。
「そんなことは、天の御国に行くまで実現しないだろう」と。
けれど、それを「実現した人」が存在するのです。
エノクは「神とともに歩んだ人」です。
ここで使われている「ともに歩く」とは、ヘブル語で「ヴァイトハレフ(וַיִּתְהַלֵּ֨ךְ)」と言います。形は違いますが、創世記3:8の「歩き回られる」と同じ語です。
これは、とても「親密な関係」を表す言葉です。そこに「上下関係」を含まない親密さです。
つまり、アダムもエノクも「権威者に従うしもべ」として「ともに歩んだ」のではないということです。
もちろん、主なる神は「絶対的な主権者」です。そして、もちろん、私は「神のしもべ」です。
けれど、主は、あなたと「ともに歩くとき」には「権威者と従者」という関係ではなく、横に並んで歩む「親密な関係」でありたいと望まれるのです。
エノクは、65年生きて「神とともに歩み」、その後「300年」続けてずっと「ともに歩んだ」のです。
エノクは「神とともに」歩みました。
歯を食いしばって「従った」のではなく、横に並んで「親密に」「楽しく」歩んだのです。
それは「日常的なこと」でした。何か「特別な集会の日」だけではありません。
エノクは「エデンの園」で、アダムが主と育んでいた「親密さ」を回復させたのです。彼は、地上で「普通」に生きていました。そして、その「日常の中」に、主は常に「ともに」おられたのです。
そよ風の吹くころ、主はエデンを散歩されたようです。そして、横には、アダムが並んで歩いていたでしょう。
その麗しい関係を、エノクという人は「この地において」持っていたのです。
とすれば、それは、今、この地において「育むことのできる関係」だということになります。
つまり、あなたも私も「その関係」を育むことができるということです。
イエス様が地上を歩かれたとき、弟子たちは「神とともに歩き回る」ことを体験しました。
そして、今、主イエスが天に昇られた後…
もう一人の助け主、聖霊が地上に来てくださいました。
私たちは、エノク以上に親しく交わることができるのです。それこそイエス様が「わたしが去って行くことは益になる」と言われた理由です。
私たちは、うちにおられる聖霊様といつも「ともに歩く」ことができるのです。
私は、主とともに歩みます
聖霊様は、私のうちにおられます
私は、聖なる交わりに入れられています

