No.70 イエス様に学ぶと安らぎを得ます!

学ぶ少年

【マタイ11:28-29】
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびき負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。

休みと安らぎについて語られました

すべて疲れた人、重荷を負っている人はイエス様のもとへ行くだけで休みを得ます。

私たちは、自分の罪の重荷を自分の力ではどうすることもできません。ただ主の恵みのゆえに、信仰によって救われるのです。それは、イエス様を主と告白し、十字架の御業を信じることによる救いです。「来るだけ」でよいのです。私たちは重荷を降ろし休みを得ます。

しかし、救われたのに、休みを得たのに、なぜか、いつも心が騒いでいて、イライラして、そわそわして、落ち着かないことがあります。実は、「休みを得る」ことは終わりではないからです。

イエス様は、続けて言われました。

「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」と。

イエス様のもとへ来て休みを得たなら、次はイエス様から学ぶのです。

イエス様は、群衆ではなく「弟子」を集めておられます。パンを求める群衆ではなく、ご自分のそばで永遠のいのちに至る食べ物を与える弟子を求めておられるのです。

ヨハネ6:27
なくなってしまう食べ物のためにではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。

パンをもらうためにイエス様を捜す群衆ではなく弟子となりましょう。

マタイ13:10-11
すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに「なぜ、彼らにたとえでお話になるのですか。」と言った。イエスは答えられた。「あなたがたには天の御国の奥義を知ることが許されていますが、あの人たちには許されていません。

主は、弟子にだけ「たとえ話」を解き明かしてくださるのです。主は、弟子たちに奥義を教えてくださるのです。

弟子とは、師に従うものです。聞く耳を持つものです。イエス様の弟子でなければ、イエス様から学ぶことはできません。弟子にのみ開かれる教えがあるのです。ワクワクしますね。

そして、御そば近くにおる弟子でなければ、知りえない安らぎがあるのです。最後の晩餐のとき、イエス様にもたれかかったヨハネを覚えます。最年少者の特権ですが、その場にいることができたのは弟子だったからです。ヨハネは「じっと見つめ」「自分の手でさわった」方に与えられた温もりと安心を忘れることはなかったでしょう。これこそ、ずっと御そばにいた者の特権です。

イエス様から学ぶことでしか得られない安らぎがあります。そばにいる弟子でしか味わえない特権があるのです。それは、誰にも、また、どんなものによっても得ることのできない安らぎです。それはイエス様から学ぶ者にしか味わうことができない安らぎです。

イエス様のもとに来て「休みを得た」なら、次は、イエス様から「学ぶ」のです。そうすれば、「たましいに安らぎ」を得ます。

私はイエス様から学びます。
私は群衆ではなくキリストの弟子です。
私のたましいは主にあって安らぎます。