黙示録14:7
彼は大声で言った。「神を恐れよ。神に栄光を帰せよ。神のさばきの時が来たからだ。天と地と海の水の源を創造された方を拝め。
永遠の福音を携えている御使いは言います
御使いが「永遠の福音」を携えて中天を飛んでいるのを、使徒ヨハネは見ました。
そして、その御使いは言うのです。
この御使いは「神のさばきの時が来た」と言っています。
そして、人々に「神を恐れよ。神に栄光を帰せよ」と呼びかけているのです。
私は、いつも不思議に思います。なぜ「悔い改めよ」と呼びかけないのだろうかと。
それが何故かは、はっきりとはわかりません。けれど、確かなことは「さばきの時」が来た時、人に求められる唯一のことは「礼拝」であるということです。
「礼拝」とは、礼拝する対象に「ふさわしい価値を帰す」という意味です。
大患難時代、地に住む人々に求められるのは「神にふさわしい価値を帰せよ」ということです。
世界中が「獣」にひれ伏す時代がやって来ます。人々は、そうは思ってはいないでしょうが「ひれ伏す対象」の奴隷となります。
地に住む人々は「選択」を迫られているのです。
「神を恐れ、神に栄光を帰す」のか「獣にひれ伏し、獣と同じ運命をたどる」のか。
そして、今の時代の私たちも、日々「選択」しながら生きるのです。
私たちの主は、もちろん「救い主」です。「助け主」です。
私たちは、子羊の血のゆえに贖われました。ゆえに、私たちは「世の罪を取り除く神の子羊」を礼拝します。
しかし、たとえそうでなくても…
つまり「ゆえに」という理由がなくても、神は神であるので「礼拝されるべき方」なのです。
「天と地と海の水の源を創造された方を拝め」
「創造主」である方に「ふさわしい栄光」を帰しなさい。
「さばきの時」が来たならば、ますます「創造主」をあがめるのです。
「困難な時」を通過しているならば「創造主」をあがめなさい。
「神が愛ならなぜ」とつぶやくことをやめ、天を見上げ、地を見渡しなさい。
主が創造された「すべて」を見なさい。
そして、言うのです。
「主よ、私にはすべては理解できません。起こっていることを支配する力はありません。ただ、世界とその中にあるすべてのものをお造りになられた方をあがめます。万物を保っておられる方を礼拝します。私も、あなたが造られたものです」
まず「創造主」を認めることです。
「創造主」に栄光を帰すことです。
「創造主」への礼拝が、あなたを変えると私は信じます。
それは「理由をさがして」ひざまづく礼拝ではありません。「たとえそうでなくても」ひざまづく礼拝です。
大患難時代、地に住む人々に求められるのは「創造主」への礼拝です。
そして、今、苦難の中にいる私たちにも「その礼拝」が求められているのだと私は思うのです。
主よ、あなたに栄光を帰します
天と地と海の水の源を創造された方を礼拝します
日々、創造主を覚えて歩みます

