2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.585 聖霊の力によって希望にあふれます

ネモフィラとてんとう虫

ローマ15:13
どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。

それは聖霊の力によるのです

「信仰によるすべての喜びと平安」と聖書は言っています。

つまり「喜び」と「平安」は「信仰」によるのです。

確かに、私たちの心は「信じた」とき「ことばに言い表せない栄えに満ちた喜び」に満たされましたね。また「この世のものではない平安」にも満たされました。

「信じる」ならば、喜びが湧き上がり、恐れは消えるのです。

けれど、この聖句を注意して読みますと「希望」だけが別のくくりになっているのが分かります。

パウロは「希望」については「聖霊の力」が必要だと言っているように思えます。(もちろん信仰も聖霊によるのです)

信仰によって「救いの喜び」に満ち「恐れを克服」した聖徒であっても「希望」にあふれていないということは起こり得ます。そんなことは、あり得ないと思うかもしれませんが、実際に私自身も「希望」にあふれていないことがあるのです。

つまり、「希望」を持ってはいるけれど「あふれてはいない」という状態で信仰生活を送ることは可能だということです。

その昔、ウィリアム・ブースは言いました。(言ったと言われているが正しいです)

「失敗よ。おまえは何者か。おまえは私に何ができるか。私は転んでも起き、倒れても立ち上がる。そして、死んでもよみがえる。つまるところ、おまえは私に何をなしえるのか」

多くの「失敗」と思えるようなことの中で「希望」に満ちあふれ続けることができるのは、なぜでしょう?

「転んでも起き、倒れても立つ、死んでもよみがえる」と叫ばせる「力」はどこから来るのでしょう?

それこそ「聖霊の力」です。ここで「力」と訳されている原語は「ドュナミス」です。ダイナマイトのような爆発的な力です。「能力」と訳すこともできます。能力とは「できる」ということです。

あなたは「希望にあふれて」いますか?

かすかな希望ではありません。うっすらと期待しているというのでもありません。

希望に「満ち満ちて」いるかということです。

地面に倒れ込んでも「永遠の御国」について叫ぶことのできる力に満ちているかということです。

聖霊の「爆発的な希望」は、あなたの心にあふれているでしょうか?

「失敗」に目を向けるなら、私たちのうちから「力」が失われるのです。敵が、そのように私たちのうちに働くからです。

もうだめだ…と思うなら、聖霊を呼び求めなさい。

「希望」に満ちあふれて歩みたいなら、聖霊により頼みなさい。

聖霊のドュナミスは、あなたを希望にあふれさせることが「できる」のです。

聖霊は、あなたの目を「希望の神」に向けさせてくださいます。あなたに、はっきりと「希望の神」を啓示してくださるでしょう。

私たちは「聖霊の力によって」希望にあふれることができるのです。

主よ、あなたは希望の神です
聖霊様、私のうちに「希望の神」を啓示してください
どんな時も希望に満ちあふれさせてください