民数記12:3
モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和であった。
モーセは柔和な人でした
モーセは「柔和な人」であったと聖書は言います。
この「柔和」という言葉は「貧しい」とも訳せます。「謙遜」とも訳せます。
モーセという人物が「偉大」であることは誰もが認めるところでしょう。
モーセは「比類なき人」と言えます。私たちのイエス様は「モーセのような一人の預言者」と呼ばれたのです。
ある青年がボブ・マンフォード師に質問しました。
「なぜ、モーセは40年も荒野で羊を飼っていなければならなかったのでしょうか」と。
ボブ・マンフォード師は、このように答えたそうです。
「39年では、完成しなかったからだよ」
モーセが、自分の人生をどう思っていたのかは正確には分かりません。
40歳から80歳までの40年間を、彼はどんな思いで生きていたのでしょうか。
過去の失敗を悔やみ続けていたでしょうか…
いえ、それさえも「過ぎ去ったもの」として、何も「感じず」生きていたかもしれません。
先に「希望」を見ることもなく「大それた夢」も抱かず…
毎日を淡々と生きる…
もちろん、その中に「ささやかな幸せ」を見出しつつ…
ある日は「まあ、こんな人生も悪くはないのかな」と思い…
ある日は「自分の経験や経歴は何の役にも立たなかったな」と嘆きつつ…
どこにも行けず、行きたいとも思わず…
彼は、忠実に義父の羊を飼い続けました。おそらく「誠実な羊飼い」であったでしょう。
荒野で「羊を飼う」ことは、かなりの「重労働」だそうです。それは「過酷な仕事」の部類に入ります。エジプトの王宮育ちのモーセには「過酷な仕事」であったかもしれませんね。彼の学んだ「高度な学問」は、もしかするとあまり役に立たなかったかもしれません。
ある人は、彼の「羊飼いであった40年」を無駄であったと思うでしょう。モーセ自身も、そこに意味を見出していたかは疑問です。
しかし、主は「ご自分が何をしているのか」をよくご存知でした。
ボブ師が言うように「39年では完成しない」ものを、主は創っておられたのです。
主は「力ある雄弁な指導者」を創ってはおられませんでした。
主は「地の上のだれにもまさって柔和」な人物を創り出しておられました。
「柔和な人」を創るのに「40年」が必要だったのです。「柔和な人」を創るのに「荒野の忍耐」が必要だったのです。人を創り変えるとき、主は「忍耐」を用いられるのです。
「イスラエルの導き手」は、強い人ではなく「柔和な人」でなければなりませんでした。「霊が貧しく」ただ「神だけ」に依り頼む人でなければなりませんでした。
なぜなら、イエス様が「柔和でへりくだって」おられる方だからです。
覚えてください。
主が御力を現わされるのは「強い人」の上にではありません。
主は「柔和な人」「謙遜な人」を用いられます。
主は、私たちが「完成」するまで諦めることはなさいません。
主よ、御手のうちで造りかえてください
主よ、陶器師なる方をほめたたえます
柔和な者としてください

