No.66 二人の主人に仕えることはできません

桜とメジロの写真

【マタイ6:24】
だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。

「神」に仕えるか「富」に仕えるかです

「二人の主人に仕えることはできない」とイエス様は言われました。その主人とは「神」か「富」であると言われたのです。

私たちは、お金がなければ生きていけないと考えます。つまり「富」がなければ「いのち」を保つことが難しいと思っているということです。

マタイ6:25
ですから、わたしはあなた方がたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと自分のからだのことで心配したりするのをやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着るもの以上のものではありませんか。

「富」がなければ「いのち」を保つことはできない、生きて行くために「富」は必要不可欠だと考えている、そのような私たちに言われたのです。

「ですから」とイエス様は言われます。

いのちを保つために食物が必要なことを主はご存じです。

あなたは、食物のことを求めて心配しているけれど、御父はいのちを保つ方です。いのちのほうが大切なことは、誰よりもご存じです。それなのに、それを保つものを与えてくださらないことがあるでしょうか。

あなたは着る物の心配をしているけれど、神はあなたのからだを造られた方です。アダムとエバにイチジクの葉より、もっとよい皮の衣を作ってくださいました。主は、からだを大切に思ってくださいます。必要な装いは与えられます。

私たちは「富」に仕える必要はありません。つまり「心配する必要がない」ということです。「富」に仕えるとは、「富」に支配されるということです。それは、お金のことばかり考えて生きるということです。

私たちは、神に仕えます。御霊に支配されます。そして、イエス様のことばかりを考えて生きます。

私たちの天の父は、すべてをご存知です。そして、すべてを支配し、すべてを豊かに持っておられます。

ハガイ2:8
銀はわたしのもの。金もわたしのもの。―万軍の主のことば―

空の鳥を養い、野の花を装ってくださる方は、私たちをも養い、装ってくださいます。

私は心配しません。
私は神に仕えます。
主は、私を養い、装ってくださいます。