2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

【黙示録13:9~13】偽預言者は偶像を礼拝させます

再臨を待つ

黙示録13:11
また私は、別の獣が地から上って来るのを見た。それは、子羊の角に似た二本の角を持ち、竜が語るように語っていた。

必要なのは、忍耐と信仰です

御霊が語りかけられます。

黙示録13:9~10
耳のある者は聞きなさい。
捕らわれの身になるべき者は捕らわれ、剣で殺されるべき者は剣で殺される。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰が必要である。

患難時代の終わりの三年半は、忍耐と信仰が必要な時です。

獣は「四十二か月」の間、思うままに振る舞います。聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つことが許されます。

捕らわれの身になる者もいます。殉教する者もいます。それを見続けるという苦悩を味わう者もいます。

しかし、主は、それらの一人ひとりをご存知です。それは定められていることです。彼らはみな「御手の中にある」のです。

患難時代の聖徒たちは思うでしょう。

「なぜ獣は勝ち続けるのか」

「なぜ聖徒はここまで苦しまなければならないのか」

ヨブが試みられたように、終わりの時の聖徒も試みられます。

サタンは、揺さぶりをかけます。信仰を持つ聖徒の足もとをぐらつかせようと試みます。その手口は昔から変わりません。サタンは、常に「神の愛」に疑いを抱かせるのです。

多くの聖徒が捕らえられ、殉教していく中で、サタンは聖徒に問い続けます。

「これでも、神はおまえを愛していると思うのか?」

「見ろ、助けは来ない、神は顔を隠している。これでも見捨てられていないと思えるのか?」

「四十二か月」すなわち「三年半」の間、獣は聖徒に打ち勝ち続けます。

ですから「ここに聖徒たちの忍耐と信仰」が必要なのです。

私たちもまた、彼らほどではないとしても何らかの試みに会うでしょう。

サタンは、あなたの信仰をも揺さぶろうとするでしょう。

「見えるもの」によって生きているならば、私たちは簡単に揺さぶられてしまいます。

どうか覚えてください。

終わりの日、獣が聖徒に打ち勝っているように見えたとしても、それは「見える世界」でのことです。

聖徒の「勝利」は、決して失われることがありません。

イエス様は、十字架に架かられる前に「勝利を宣言」されました。

ヨハネ16:33
これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世に会っては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。

イエス様の勝利は「十字架の前」から確定していました。

サタンは、イエス様を十字架に追い込んだとき、イエス様が敗北したと思ったかもしれません。しかし、主は「よみがえられ」ました。サタンは、自分の勝利が一瞬で終わったことを知ったのです。

患難時代の聖徒も同じです。

彼らの「勝利」は確定しています。それは、いのちを失ったとしても奪われることのない「勝利」です。

獣は聖徒に挑んで打ち勝ちます。

そうです。見えるところでは「聖徒は打ち負かされて」いくでしょう。

しかし、イエス様の勝利が「十字架の死」によって奪われなかったように、聖徒の「勝利」も奪われません。

むしろ、十字架が「勝利のしるし」であるように、聖徒が「打ち負かされる」ように見える、そのところに「勝利」があるのです。

あなたの「勝利」も同じです。

私たちは「勝利を得るために」戦っているのではありません。「勝利をつかむ」ために歩んではいません。

あなたは、すでに「勝利者」なのです。

私たちは「勝利を得た」ので権威を用いるのです。私たちは「勝利者」として立ち向かうのです。

あなたは「自分は世の中にあって敗北者だ」と考えているでしょうか。

多くの聖徒が「自分は世の中の人より劣っている。みじめだ」と感じているようです。

いいえ、あなたは「敗北者」ではありません。「みじめ」でもありません。

世の基準で「幸い」を量るのはやめなさい。

世の基準で「勝敗」を決めるのもやめなさい。

見えるところに「愛」を捜すのはやめなさい。

あなたの「主」が勝ち取られたものを見つめるのです。

あなたは「勝利」を確信しなさい。

主イエスが「再び来られる」ことを確信しなさい。

見える世界がすべてではないことを確信せねばなりません。

ヘブル10:35~36
ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。

あなたの確信には「報い」があります。それは「大きな報い」です。

そして、それは、主イエスが再び来られる時に携えて来られるものです。ですから、この世で「報われない」と嘆くのは終わりにしましょう。あなたの報いは「天に」あります。

その「確信」を決して投げ捨ててはなりません。

「確信」を投げ捨てないために必要なのは「忍耐」です。忍耐と信仰は一緒に働きます。

ヘブル10:39
しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

私たちは「確信」を投げ捨てずに歩みましょう。

「忍耐と信仰」を持って、ともに御国まで歩いて行きましょう。

地から上って来た「別の獣」がいます

さて、なんだか「まとめ」のような感じになりましたが、まだまだ続きます(笑)

使徒ヨハネの視線は「地」に向けられます。

黙示録13:11
また私は、別の獣が地から上って来るのを見た。それは、子羊の角に似た二本の角を持ち、竜が語るように語っていた。

つまり、患難時代には「二頭の獣」が存在するということです。

最初に登場する一頭は「海から上って来た獣」です。これは「十本の角と七つの頭」を持っています。そして、竜は「海からの獣」に、自分の力と自分の王座と大きな力を与えるのです。

次に登場する別の獣は「地から上って来る獣」です。二頭目の獣は「子羊の角に似た二本の角」を持っています。彼は「疑似メシア」として登場する「偽預言者」です。

さて、聖書では「海」は「世界」を表すと言われます。「海から上って来た獣」すなわち「反キリスト」は、世界の独裁者となります。

「地」とは「パレスチナ」もしくは「イスラエル」を表します。おそらく「地から上って来た獣」すなわち「偽預言者」は、パレスチナ一帯、おもにイスラエルを中心に活動するのではないかと思われます。

多くの注解者が、この「偽預言者」は「ユダヤ人である」と言います。「地(イスラエル)」から上って来る獣なのだから「ユダヤ人」であろうという理屈です。

そして、もう一つの理由は、おそらく「偽預言者」は、ユダヤ人たちと反キリストとの間を取り持つ「仲介者」の役割を果たすと思えるからです。

ユダヤの人々が、あっさりと「反キリスト」を信じるとは、とても思えません。しかし、もし彼らと同じ民族の誰かが「仲介する」とすれば、反キリストと契約を結ぶ可能性は大いに高くなるだろうとという理由です。

確かに、可能性はありそうですね。

しかし私は、あくまで個人的な意見ですが…

彼(偽預言者)は、ユダヤ人ではなく、ユダヤ人のふりをするのではないかと考えています。もしくは、純粋なユダヤ人ではないけれど、ユダヤ人として生きて来た人なのではないかと思います。ダニエル書8章を読みますと、この「偽預言者」が「ギリシャ帝国から派生するシリアの出自」であることが分かります。もちろん、これも断定はできません。

私たちは注意しなければなりません。聖書を正しく読む必要があります。そして、そこに書かれていることを「超えない」ことが大切です。また、同時に「決めつけない姿勢」をも持たなければなりません。

いつも言いますが…

主イエスが地上を歩いておられた時代、エルサレムの人々は「聖書の預言を正しく知って」いました。人々は、キリストが「ベツレヘム」でお生まれになることを知っていました。ですから「ナザレ出身」のイエス様を認めなかったのです。

けれど、私たちは知っています。イエス様は「ベツレヘム」でお生まれになって、可愛らしく飼葉桶に眠られました。旧約聖書に記された「降誕」の預言は、ことごとく成就したのです。

「見たこと」「聞いたこと」だけで判断するのは危険です。御言葉に照らし合わせることは非常に大切です。

しかし、聖書を「知っている」と思い込み「見たこと」「聞いたこと」を排除するのは、もっと危険です。「知っている」と思うことは、本当に恐ろしいことですね。

私たちは、預言を「解読する」ために生きているのではありません。もちろん、主は「明らかに」してくださる方です。黙示とは「覆いを取り除く」という意味でしたね。「預言」は、道を照らす灯火です。しかし、私たちを導かれるのは「聖霊」であることを忘れてはなりません。

いずれにせよ、偽預言者が「パレスチナ一帯」を支配するのは確かでしょう。「偽預言者」は、中東一帯を取り仕切るようになると思えます。もちろん、中東だけでなく、反キリストとともに「全世界」に影響を及ぼします。

彼は「子羊のような角」を持つ支配者です。

もしかすると、外見は「子羊のように柔和」に見えるのかもしれません。彼は「イエス様のように」現れるのです。ユダヤ人たちは、本物のメシア(救い主)を拒絶しますが、この「疑似メシア」である偽預言者のことは受け入れるでしょう。

ヨハネ5:43
わたしは、わたしの父の名によって来たのに、あなたがたはわたしを受け入れません。もしほかの人がその人自身の名で来れば、あなたがたはその人を受け入れます。

イエス様の言われたことが、患難時代に「そのまま」起こります。

人々は「偽預言者」をメシアのように受け入れるでしょう。子羊の顔をして、竜の心を持つこの人を、人々はみな喜んで受け入れるのです。

偽預言者は偶像を礼拝させるのです

偽預言者は「最初の獣が持っていた権威」を働かせます。

黙示録13:12
この獣は、最初の獣が持っていた権威を、その獣の前で働かせた。また、地と地に住む者たちに、致命的な傷が治った最初の獣を拝ませた。

「最初の獣が持っていた権威」とは、竜が与えた権威のことです。

偽預言者は「竜の力」を用いることができるのです。それは「獣の前」で働かせる権威です。

ここから、なんとなく「竜と反キリストと偽預言者の関係性」が見えてきますね。

注解者の多くは「反キリストは政治家」であり「偽預言者は宗教家」であると言います。そのように、はっきりとした「線引き」ができるかは分かりませんが、偽預言者が「最初の獣を拝ませる」ことは確かです。彼は、反キリストを神とすることに一生懸命になります。そういう意味においては「宗教家」と言えるでしょう。

第一の獣は政治的な人物ですが、第二の獣は宗教的な人物です。この第二の獣は「地から上って」きます。~中略~

「それには子羊のような二本の角があり…」、主イエスはちょうど優しい子羊のようでしたが、この偽預言者も、外見は非常に優しそうに見えるのでしょう。宗教的に装ったこの人物は、残虐な「獣」とは対照的な人物として現れます。~中略~

にせ預言者は、外見は子羊のように見えますが、実際は「竜」(サタン)の代弁者なのです。

黙示録 J・B・カリー著 伝道出版

偽預言者は、人々に「獣を拝ませる」ために「しるしと不思議」を行います。

黙示録13:13
また、大きなしるしを行い、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。

「天から地に火をくだす」ことは、聖霊の真似だと言う説もあります。そうかもしれません。そうだろうと思います。

しかし、地に住む人々は「二人の証人」を思い起こすのではないかと私は思います。

「大きなしるし」を行う柔和な人物に、世の人々は熱狂するでしょう。

「この人は、大きな力を持っているけど、あの証人たちみたいに我々を苦しめない」と言うでしょう。

その昔、ヤンネとヤンブレがファラオの前で、モーセとアロンに対抗しました。

モーセとアロンが蛇を杖にしたときに、偽預言者も蛇を杖にしたのです。つまり同じことをしたのです。一方は聖霊様から、片方は悪霊からやります。どうしたらその違いがわかりますか。それは「実を見て」判断しなければなりません。~中略~

では、モーセは悪霊からやったのですか。とんでもない。モーセは蛇を杖にしたが、魔術師も同じことをやったからといって「モーセは危険だ」と言えますか。モーセは聖霊からやって、魔術師は悪霊からやったのです。現象だけで判断したらいけません。どちらも現象は同じだからです。そこで主イエスは「実を見て判断しなさい」と言われたのです。
世の終わりが来る 奧山 実著 マルコーシュ・パブリケーション

サタンは常に、だれかを用いて「神のしもべ」に対抗させるのです。

その現われは「聖霊と同じ」ように見えるかもしれません。実際に、偽預言者と言われる人々は「大きなしるし」を行います。

世の終わりには「惑わす者」が多く現れます。しるしや不思議という「現象だけ」を見て判断するのは危険です。しかし、危険だからと言って「賜物を用いない」こともまた、サタンの策略にはまることです。

終わりの時代に生かされている聖徒として、私たちは「見分ける」ことを学ぶ必要があります。

私たちに必要なのは「恐れ退くこと」ではありません。私たちは、成熟した大人になることを求める必要があります。主イエスの兵士として「大胆に」御霊に用いられる者とされましょう。必要なのは「信頼すること」です。

子羊の角を持つ偽預言者は、大きなしるしを行い、柔和な外見と巧みな言葉で人々を操ります。彼は「人々をたぶらかす者」です。賢く見えますが、実際には「知性の腐った失格者」なのです。

多くの偽預言者がこれから大勢現れます。彼らはみな、この「最後の偽預言者」に続く者たちです。

彼らの最後は、もちろん「滅び」です。

ピリピ3:18~19
というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。

「偽預言者」たちは、賢いように見えますが、彼らの思いは「地上のことだけ」です。

偽預言者と神のしもべの違いは「誰を(何を)神としているか」です。

多くの偽預言者は「偶像礼拝者」であることを覚えてください。確かに彼らは「聖霊のみわざ」を強調し、多くの奇跡を行います。けれど、彼らは「自分の欲望」を成し遂げるためにそうするのです。

彼らは「自分の欲望を神としている」のです。

地上のことだけを思い、地上での成功だけを求めるならば、サタンは、あなたにそれを与えることができます。

サタンはいつも言っているのです。

「もし、私を拝むならば、あなたにそれをあげよう」と。

ですから、聖書は言うのです。

「世をも世にあるものを愛してはならない」と。

地上のことを思うのはやめましょう。地上のものを地上の方法で手に入れるのはやめなさい。

たとえ、それが「教会を大きくしたい」という願いであってもです。多くの「偽預言者」も始まりは「良かった」ことを忘れてはなりません。

愛する兄弟姉妹。

私たちは「地上のことだけ」を考えて生きるのはやめましょう。

「地上のことだけ」を考えて生きるならば「欲望を神」とすることになります。それは「十字架の敵」となることです。

私たちは、天を仰いで歩みましょう。

ピリピ3:20
しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

私たちは、天国人として、天のことを思って生きます。

私たちは、ただひたすら、主イエスを待ち望み、御国の民として歩みましょう。

シャロームを祈ります。