ヘブル1:9
あなたは義を愛し、不法を憎む。それゆえ、神よ。あなたの神は、喜びの油で、あなたに油を注がれた。あなたに並ぶだれよりも多く。
イエス様は喜びに満ちておられます
イエス様に注がれたのは「喜びの油」でした。
この地上を歩いておられたとき、主イエスは「喜び」にあふれておられました。
ここで「喜び」と訳されている語は、原語では「大喜び」「歓呼」「躍り上がるほどの喜び」という意味です。
主イエスに注がれた「喜び」とは、静かな内に秘めたる喜びではありませんでした。
それは、ダビデを思い出させるような「喜び」です。それは「大歓喜」なのです。
妻のミカルに軽蔑されても、誰にどのような目で見られようとも、飛び上がり踊らずにはいられないほどの喜びです。
イエス様は確かに「悲しみの人で病を知って」おられました。ご自身が十字架に架かるために歩んでおられることも知っておられました。寂しい所で一人祈っておられました。ゲッセマネで苦しみ祈られました。
しかし、日々、下を向いて歩いておられたわけではありません。常に歯を食いしばって緊張感を漂わせながら歩んでおられたわけでもありません。
イエス様は「喜び」をまとって歩んでおられました。平和に満ちて歩んでおられました。顔を真っすぐ前に向け、エルサレムへの道を歩かれたのです。
もし、イエス様が「苦悩する青年」として歩んでおられたなら、子どもたちは恐れて御そばに寄っては来なかったでしょう。
イエス様は、御父の御前にある「喜びと楽しみ」を誰よりもご存知でした。
イエス様の御そばにいた人々は、その「喜びと楽しみ」をイエス様を通して味わったのではないかと思います。
イエス様は、神の国の福音を宣べ伝えて歩かれました。
主イエスこそ「神の国の現れ」です。聖霊に満ちあふれ「義と平和と喜び」を体現しておられました。
愛する兄弟姉妹。
イエス様を見つめましょう。
十字架を目指し歩まれた方を見つめましょう。「悲しみの人で病を知って」いた方を見つめましょう。
それでも、歓喜しながら歩まれた方を見つめましょう。躍り上がるほどの喜びで輝いていた方を見つめましょう。
主イエスの注がれた「喜びの油」すなわち聖霊様は、今、あなたのうちにおられます。
あなたも「喜び」をまとって歩むことができます。
しかも、それは「大歓喜」です。ちょっとした「喜び」ではありません。抑えきれないほどの喜びです。
あなたの状況がどのようなものであっても、それでも、躍り上がるほどの喜びで満たされることができるのです。私たちは、日々「喜び歌いつつ」歩むことができます。
聖霊の喜びが注がれていることを感謝します
イエス様が歩まれたように私も歩みます
うちにおられる聖霊様を信頼します

