ピリピ4:13
私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。
私を強くしてくださる方がおられます
ある姉妹の証しです。
その姉妹は、原因不明の病に15年間、苦しんでいました。お医者さんは「なぜ治らないか原因がわからない」と言いました。まあ、これは20年以上前の話ですから、今であれば何らかの原因がわかるのかもしれません。
彼女は、体調の良い時と悪い時を繰り返しながら生活を続けていました。自分の身体を打ち叩きながら家事も仕事も教会の奉仕も続けていたのです。もちろん、常に癒しを祈っていました。断食もしました。癒やしの集会にも行きました。多くの人に祈ってもらいました。しかし、症状は変わりませんでした。
こんなふうに身体の様子を見ながら、騙しだまし生きていくしかないのかなぁと思っていたそうです。
しかし、騙しだましが効かない日もあるのです。
ある日、彼女は自宅の階段を昇ることができなくなりました。階段の前で立ちすくみ途方に暮れました。足を上げる力が出なかったのです。
家の階段は、そんなに長いものではありません。しかし、その時の彼女には、その階段が巨大に見えました。とうてい二階には上がれないと思ったのです。
けれど、彼女は諦めませんでした。彼女は祈りはじめました。
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる。主よ、どうか足を強めてください」
そうして、一段、一段、主にすがりながら階段をのぼり、とうとう二階まで辿り着いたのです。
これは「小さなこと」です。しかし、彼女の人生を変える「大きな経験」でした。
その数年後、彼女は癒されました。なぜ、主が瞬時に癒してくださらなかったのかは分かりません。なぜ、15年も苦しまなければならなかったのか、それも分かりません。
しかし、今、彼女は言います。
「私は、イエス様にあって無敵だ」と。
そう言えるのは、あの「階段の経験」のおかげでした。一歩、一歩、主にすがりながら上まで辿り着いたことが、彼女の自信となったのです。彼女は「主とともにある」ことを、あの日、知ったのです。
あなたの苦しみは何でしょう。それは長く続いているのでしょうか。
「主よ、いつまでですか」と言いたくなる気持ちは、私にも分かります。
愛する兄弟姉妹。
私たちの一歩、文字通り、地に足をつけて歩く、その一歩の力を、今、主に求めようではありませんか。
主よ、私の一歩を、どうか支えてください。この一日を、どうかあなたの御力によって生かしてください。
主とともに歩いたこと、それがあなたの経験になります。
主とともに「今日」を生き抜いたという実感が、あなたの力となります。
まだ得ていないものを思って「不安」や「悲しみ」を募らせるのはやめなさい。
今、ここにいてくださる主の御力にすがりなさい。
「その一歩」を歩く力を下さる方と歩みなさい。
「今日」を生きる力を下さる方の手をとりなさい。
そうして、主とともに「一歩」進み、「今日」を積み重ねるならば…
ある日、振り返ったとき、あなたも必ず言うでしょう。
「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできる。主にあって私は無敵だ」と。
主よ、私の足を強めてください
主とともに、今日を生きます
私は、主と歩きます

